2006年04月06日

●境内散策

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2006年04月04日

●「蓮生山本堂」

 熊谷市の中央部にあり、往古熊谷館跡に建立せらる。高さ十一間(二十一米)、間口十四間(二十五.五米)、奥行十六間(二十九. 一米)、畳数二百五十枚、用材は隈なく総欅材なり。

 

 本堂瓦屋根の四隅には守り神である逆さ獅子が配置されている。

 

 

 

 熊谷家家紋「ほやに向かい鳩」である。本堂棟瓦にはこの熊谷家家紋、徳川家家紋「三葉葵」、そして浄土宗紋「月影杏葉」 が納められている。また、各丸瓦には「ほや」の紋が納められている。

 

 

 本堂前両脇に配置されている常夜燈である。現在の常夜燈は大正期再建のときのものではなく、昭和に入り戦後再建されたものである。 当寺創建当時からのの言い伝えでは、黒龍・妙龍の化身とも言われ、礎石の上からは常に水滴がしたたっている。

 

 

 

 

 

 

●「熊谷蓮生法師霊廟」

熊谷次郎直實公は人皇七十五代崇徳時代、永治元年二月十五日熊谷館(現本堂所在)に誕生し、建久四年に出家し、蓮生法師と称え、 承元元年九月四日此処にて寂滅す。
猶左方は夫人相模の方、右方は息子小次郎直家公の霊墓也。

 

 

●「摩尼車」

「一念弥陀仏、即滅無量罪」

その意味は、お念仏(南無阿弥陀仏)を一遍称えるなら、即座に無量(数限りない)の罪が消滅する、ということです。

摩尼車とは、本来は経文が刻んである車輪型の石版で、これを一回転するとその経文を一度読んだことと同等の功徳があるとされています。 増上寺などのお寺にある輪蔵のミニチュア版のようなものに相当します。また、 一心に合掌し誓いや願いを祈りながら摩尼車を回すと必ず祈願が叶うと信じられています。
私たちの心の中にある仏心を目覚めさせ心を清め、自己を豊かに生かすことができるよう念じながら摩尼車を回すことが肝要です。

 

 

●「源平花桃」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●「熊谷蓮生法師大霊像」

熊谷直實公 感ずる所あり出家し蓮生坊と名乗り諸国行脚を重ねし五十四歳頃の御姿なり 台座は武士時代用いし妙珍作の七十二劔兜を型どり特に滅後七百五十年遠忌紀年として仝数に近い円型凸疣を附せり 猶僧用の袈裟 数珠鉄杖總て当寺所蔵の御遺品に倣えたり

 

昭和二十八年十月竣工
昭和三十二年四月完工
直実公七百五十年忌念
山内大改修

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●「野佛の径」

 野佛の径とは、熊谷寺境内地内の西側の木々が鬱そうと生い茂っている一角で、 わずか百メートル足らずの距離であるが、径の両側には墓石、石板碑、供養塔、石仏などが置かれている。
 この場所から現在の妻沼県道の一本東手前の道まで、明治末期までは当寺院の墓地であった。当時、地下水を飲用としていた熊谷町は、 衛生面から市街地区内の寺院の墓地を大原地区へと移動する計画を立て、当寺院もそれに従ったものである。その墓地移転の際に、 無縁となってしまった仏さまやお地蔵さまたちがこの場所に残り、今もこの熊谷寺を見守ってくれているのです。

 

 

 

 

 

 

 

●「橙」

 その名の通り、色も橙色であり、夏みかんというよりははっさくに似た柑橘系の果物である。

 この橙という実木を見ると3種の実がなっている。小さくてまだ青い実、今が食べ頃なのかなと思えるような実、 そして少しばかり萎びて乾燥したような実。青い実は今年なり始めた実で、食べ頃の実は昨年夏になり始めた実、そして少し萎びた実は、 一昨年なり始めた実である。もうおわかりでしょうが、3世代の実が落ちずに同時になっています。つまり、親、子、孫と3代が常に一緒にいる、 転じてその家が代々繁栄する、といった縁起の良い者なのです。正月の鏡餅のうえに乗っているみかんも、本当は橙を乗せるのが習わしなのです。

 

 

●「黒龍妙龍の井戸」

当山中興幡随意上人天正年間開山蓮生法師の徳を慕ひ此処に来り往し終に堂塔伽藍を建立し給へり時に黒白の龍あり出現して諸人に災害を及ばすこと甚からざりしかは上人之を憂ひ法力を以て長く2龍を此の井底に封じ給ひ全く事なきを得たり。
以来早魃の際祈願すれば雨沛然として降りしと云ふ不思議の霊跡なり。

 

 

 

 

 

●「慶和地蔵」

それぞれの事情により陽光の目にも逢えず闇から闇に消え去った不幸な魂魄
そしてこれを哀しみ、嘆く母親のつらい泪とそんなものを一時なりとも安らげる為にここに今迷い、 浄土に帰れぬ水子等のこの世で父となり母となり、手を差しのべるお地蔵さまの尊像を奉建して、 水子たちの魂魄の冥福をお願い申し上げるものです。
昭和四拾五年庚子年 願主熊谷寺第三十三世住職

 

 

●「地蔵堂」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●「鐘 楼」

 当寺院敷地内での最も古い建造物であり、修改築は加えられているが、 開山当初(江戸期)の物と推測される(詳細は不明)。


 大小二つあった鐘楼のうち一つはは第二次大戦の鉄類供出により大砲の弾と化したが、残り一つは徳川公の御名が刻んであったため供出を免れ、 現在本堂前に安置されている。

 

 

●「山 門」