●平治年(1159) 「平治ノ乱、義朝に従い十七騎随一の名を得る」
直定は二人の子があり、長男太郎直正(十八歳で病死)と次男次郎直実であった。早く父を失い、久下権守直光に養育された直実は、
幼少より弓矢の達人であり、性格は剛直であった。保元の乱に続いて、平治の乱には源氏に従い都に上り、各所の合戦に勇威をふるい、
一騎当千の高名をあげた。中でも、平治の乱には悪源太義平に従い、侍賢門十七騎の随一といわれた。
しかし、戦さは平家方の勝利に終わり、大将の義朝も最期は救いを求めて頼った尾張の長田庄司忠到に欺かれ、湯殿で38歳の生涯を閉じた。
落武者となった直実は、昼は笹の下に隠れ、夜は間道を通り、ようやく熊谷へと到着したのである。