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2006年04月07日

●治承4年(1180)9月 「源頼朝ニ臣従、「ほやと向い鳩」の紋を賜ふ」

 大庭三郎景親に破れた頼朝は、数名の家臣と山腹の臥木の大洞に忍んでいた際に、直実と梶原景時に発見された。 もはやこれまでとと覚悟を決めた頼朝に、そのまま潜んでいるようにと告げ、辺りにあった宿り木(ほや)の枝をとって大洞の口を隠した。
 後からあらわれた大庭勢が疑わしくしていると、直実は「こんな朽木の中に源氏嫡流の佐殿が入られるはずはあらず」と大庭勢を制した。 そのとき、この朽木より2羽の鳩が飛び出したため、「野鳩がいるようなところに人はいないであろう」と納得し、 他を探しにその場を離れていったのである。
 テレビドラマなどでは、梶原景時公が頼朝公を助けたとよく描かれているが、『熊谷家文書』では、 直実が頼朝公を助けたのだと伝えられている。
 その証拠に、直実は後に頼朝公から陣幕を拝領しており、この陣幕には、ほやの木(宿り木)の上に鳩が向かい合って2羽とまっている、 「ほやに向かい鳩」という紋が染め抜いてある。これがこれ以後熊谷家の家紋となっていることから、頼朝公を助けたのは直実だ、 と伝えられている。
 また、後でのお話であるが、直実は頼朝公に対して何度か随分失礼なことをしております。ですが、ほとんどおとがめが無い。 そういったことから考えてみましても、やはり頼朝公を助けたのは直実であったのであろうと伝えられている。

 「源頼朝卿ハ石橋山ノ戦ニ破レシ時、伏木ノ内ニ隠レタリ。直実ハ蔦葛ヲ取ツテ頼朝ノ上ニ覆フ、ソノ後、木ノ中ヨリ鳩ガ出テキテ去ル。 敵ハコレヲ見テ、人無シト謂ヒ、兵ヲ引キ上ゲル。頼朝ハ直実ノ忠ニ感ジテ、蔦葛ヲ家紋トナサシム。」                              (『北条系図』)

 頼朝は、この危機から脱したのは八幡宮の御加護であるとし、その後、 御旗にも伊勢大神宮八幡大菩薩の文字の下に白鳩2羽を八文字に縫わせた。また、本陣の幕には、蔦車に八文字の鳩を染め抜いて用いた。 これを恩賞として直実に賜り、これにより熊谷家は、蔦に鳩を定紋としたのである。