●治承4年(1180)11月 「常陸国攻め、先陣の巧(一騎当千)を得る」
慌てて敗走する平家に対し、頼朝は冷静であった。直ちに追撃、上洛はせず、鎌倉背後の常陸国佐竹太郎義政・
秀義を平定する指示を出した。佐竹氏の勢力は領外にも及んでおり、またその郎党は国中に拡がり、平家に恩顧を抱いている者も多かった。
11月4日、険しい絶壁を利用した山頂に建つ金砂山城に、直実は平山武者所季重とともに先頭で攻め入った。
「十一月七日 乙卯 軍兵ノ中、熊谷二郎直実、平山武者所季重、殊ニ勲功アリ。
所々ニオイテ先登ニ進ミ、サラニ身命ヲ顧ミス、多クノ凶徒ノ首ヲ獲タリ。ヨツテソノ賞傍輩ニ抽ンツヘキノ旨、直ニ仰セ下サルト云々。」
(『吾妻鏡』)