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2006年04月07日

●寿永元年(1182)6月 「熊谷郷地頭職任命」

 治承四年十一月にあった常陸佐竹氏の金砂山城攻めの合戦で、直実は抜群の功を挙げ、板東一の剛の者と称され、 熊谷地方の地頭職に任じられた。

「寿永元年六月五日 甲辰 熊谷二郎直実ハ、朝夕恪勤ノ忠ヲ励ムノミニ非ス、去ル治承四年、 佐竹冠者ヲ追討ノ時、殊ニ勲功ヲ施ス。其ノ武勇ヲ感セシメ給フニ依リ、武蔵国ノ旧領等、直光ノ押領ヲ停止シ、領掌ス可キノ由仰セ下サル。 而シテ直実此間在国シ、今日参上セシメテ、件ノ下文ヲ賜ハルト云々。
下ス、武蔵国熊谷郷二郎平直実ノ所。
定補スル所ノ事、
右件ノ所、且ハ相伝ナリ。久下権守直光ノ押領ノ事ヲ停止シ、直実ヲ以テ地頭ノ職ト為スト、成シ畢ンヌ。其ノ故、何ニトナレハ佐汰毛四郎、 常陸国奥郡花園山ニ楯籠リ鎌倉ヨリ責メ給フ時、其ノ日ノ合戦ニ、勝レテ前懸ケシ、一人当千ノ高名ヲ顕ハス。其ノ勧賞ニ、 件ノ熊谷郷ノ地頭職ニ成シ畢ンヌ。子々孫々、永代他ノ妨ケ有る可カラス。百姓等宜シク承知シ、敢テ遺失ス可カラス。故ニ下ス。
治承六年五月三十日」 
(『吾妻鏡』)

 名実ともに、年来の思いであった旧熊谷郷の所領は直実の手に戻ったのであるが、 この叔父久下直光との所領にまつわる争いはこの後も続き、建久3年に、ついに事件が起きるのであった。