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2006年04月07日

●寿永3年(1184)2月 「平経盛に遺品及び一文を送る(送リ状)」

 義経軍の一人として一ノ谷の合戦に参加した直実であったが、 須磨の浦で心ならずも討ち取った敦盛の顔が傷を負った嫡子直家と重なり、頭を離れないでいたいた。その悔悟のためか、 直実は義経に願って、敦盛の首とその遺品青葉笛をもらい請け、一紙の消息文をつけ、敦盛の父修理太夫経盛のもとへ送り届けた。

「直実謹ンデ言上ス
ハカラズモ此ノ君ト参会シ奉ル。呉王ハ勾践ヲ得テ、秦皇ガ燕丹ニ遇フニ、勝負ヲスグ決セントスルニ、ソノ容正シキフルマヒヲ拝スルニヨツテ、 俄ニ怨敵ノ思ヒヲ忘レ、武威ノ勇ヲ失ヒタリ。
 ノミナラウ、守護ヲ加ヘ奉ラント思ヒシガ、源氏大勢シ襲来シ来ル。時ニ源氏ヲ射ルトイヘドモ、彼ハ大勢、レハ無勢ナリ。樊カイ、 養由ガアツテモカナハズ。
 是ニ直実、タマタマ生ヲ弓馬ノ家ニ受ケ、幸ニ武勇国中ニカガヤキ、城ヲ落シ旗ヲ靡シ、敵ヲ虐シ、 天下無双ノ名ヲ得ルトイヘドモ蟷螂ガ車ヲ覆シ、螻蟻ガ岸ヲクヅスガ如ク、弓ヲ引キ、矢ヲ放ツテ、空シク命ヲ東軍ニ奪ハレ、 イタヅラニ名ヲ西海ノ彼ニ沈ムルコト、自他家ニ科スノ面目ニアラズ。
 シカルニ御君ノ御意ハ、早ク御命ヲ直実ニ給テ菩提ヲトムラフベシト仰セ下サル。依ツテ、タチマチノチマチノ落涙ヲオサヘ、 ハカラズシテ御首ヲ給リ畢ンヌ。恨メシ哉、此君直実ト悪縁ヲ結ビ奉ル。悲シキ哉、宿運久シク怨敵ノ害ヲナス。 シカリトイヘドモ飜ツテ逆縁ニアラザレバ、イカデカ互ニ生死ノ紲ヲモツテ、一蓮ノ実トナラン。
 シカラバ、則チ、偏ニ、閑居ノ地ヲシメシテ、ネンゴロニ御菩提ヲ祈リ奉ルベシ。直実ガ申スコトノ真偽、後聞ニ其ノ隠レ無ク候。 此ノ趣ヲモツテ御披露洩シアルベク候。   恐惶謹言
 二月十三日     直 実

進上 平内左衛門尉殿   」