●建久6年(1195)2月 「熊谷蓮生置文」
美作、若狭、丹波、をまわり吉水の旧房へ戻り、法然上人より授けられた迎接曼荼羅を前に、
これでいつでも往生できるとの気持ちになった蓮生は、嫡子直家が頼朝の上洛に従って京に来るのを機に、
子孫に対して器量に応じて行うべきつとめを願い、置文をしたためた。
「子々孫々ニ至ルマデ能々知ラシムルベキ旨
一、先祖相伝ノ所領安堵御判形七ツ並ビ保元元年以来建久年中ニ至ル軍感状二十一相伝ヘルベキ事
一、主君ニ対シ逆儀アルベカラズ並ビ武ノ道ヲ怠ラザル事
一、法然上人御自筆御理書並ビ迎接曼荼羅ヲ信心トスベキ事
右参ヶ条ノ外、其ノ身ノ器量ニ応ジ事ノ道理ヲワキマエルベキナリ
仍置状件ノゴトシ
建久六年二月九日 蓮生 判 」