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2006年04月07日

●建久6年(1195)8月 「頼朝と対面、仏法・兵法について語る」

「八月十日、熊谷次郎直実法師、京都ヨリ参向ス。往日ノ武道ヲ辞シ、 来世ノ仏縁ヲ求メテヨリ以降、偏ニ心ヲ西刹ニ繋ケ、終ニ跡ヲ東山ニ晦マス。今度将軍家御在京ノ間、所在アルニ依リテ不参ス。 追ツテ千程ノ嶮難ヲ凌ギ、泣ク泣ク五内ノ蟄懐ヲ述ブ。仍テ御前ニ召シ、先ヅ、穢土ヲ厭離シ、浄土ヲ欣求スル旨趣ヲ申ス。次ニ兵法ノ用意、 干戈ノ故実ヲ談ジ奉ル。(『吾妻鏡』)

 将軍のお召しに応じ拝謁した蓮生は、旧主君に会えた喜びに涙を流し、 仏門への憧憬の思いを断ちがたく、罪障消滅のために機をみて遁走したこと、念仏に明け暮れていたため在京中の不在を深く謝した。


 話題が転じ、過ぎし戦さの兵法に及び、三十余年の戦歴の蓄積である「雲の巻」、「火の巻」を語ると、 将軍や諸将は俗野の雑念や雑事を離れてとらわれのない卓越した兵法に意を同じくし、出家した蓮生まを惜しんだという。

「身ハ今、法体スト雖モ心ハナホ真俗ヲ兼ヌ、聞ク者感嘆セザル莫シ。今日即チ武蔵国ニ下向スト云々。 頻リニ之ヲ留メシメ給フト雖モ、後日参ズ可キノ由ヲ称シテ退出スト云々。(『吾妻鏡』)