●建久8年(1197) 「法然上人の共で、九条兼実邸を訪れる」
「或時上人月輸殿へ蓼じ給けるに、この入道推参して御共にまいりけるを、
とどめばやと思食されけれども、さるくせものなれば、中々あしかりぬと思食て、仰らるるむねなかりければ、月輸殿までまいりて、
くつぬぎに候して、縁に手うちかけ、よりかかりて侍けるが、御談儀のこゑのかすかにきこえければ、この入道申けるは、
あはれ穢土ほどに口おしき所あらじ。極楽にはかかる差別はあるまじきものを、談儀の御こゑもきこえばこそと。
しかりこゑに高馨に申けるを、禅定殿下きこしめして、こはなにものぞと仰られければ、
熊谷の入道とて武藏國よりまかりのぼりたるくせものの侯が、推参に共をして候と覚候と、上人申給けれぱやさしくただめせとて、
御使を出されてめされけるに、一言の色題にも及ばずやがてめしにしたがひて、ちかくおほゆかに祇候して聴聞仕けり。
往生極楽は當來の果報なをとをし、忽に堂上をゆるされ、今上の花報を威じぬる事、本願の念佛を行ぜずば、争此式に及べきと、
耳目をどろきてぞ見えける」 (『法然上人絵伝(四十八巻伝)』第二十七巻)
あるとき法然上人は、九条兼実の屋敷に呼ばれて行ったことがあった。
このとき蓮生も半ば無理矢理であるがお供をしたのである。上人は座敷に通されたが、蓮生は中には入れてもらえず、
縁の外の沓脱あたりに控えていた。やがて法談が始まり、奥の方から兼実と上人との会話が聞こえてくるが、
とぎれとぎれでどうもよく聞き取れない。教えが聞けるとばかり思ってついて来た蓮生は腹をたてて、
「この世ほど口惜しいところはない。極楽にはこんな差別はあるまい。
せっかくの談義のお声も聞こえない」
と大声で放言したという。それを聞いた兼実は、法然上人のお供の由を聞き、使いをやって大床のところで聴聞することを許したというのである。
通常ならば、聞きたくともお供である故、我慢するところであるが、さすがは蓮生法師である。常人の遠慮という考えは通用しない。しかし、
もっともな物言いである。扱いにくい性格ではあるが、純粋な蓮生の一面を垣間見られる出来事と言える。