●建永元年(1206) 「法然上人より消息(五月二日)が届く」
「御文喜ひて承り候ぬ。誠に其の後覚束なく候つるに、嬉しく仰せられて候。
但念仏の文書きて参らせ候。御覧候へし。念仏の行は彼の仏の本願の行にて候。持戒・誦経・誦呪・理観等の行は、
彼の仏の本願にあらぬ行いにて候へは、極楽を願はむ人は、先つ必す本願の念仏の行を勤めての上に、
もし行ひをも■■■し加へ候はむと思ひ候はは、さも仕り候。又只本願の念仏計りにても候へし。念仏を仕り候はて、
たた異を行ひはかりしをして極楽を願ひ候人は、極楽へも得生まれ候はぬことにて候由、善導和尚の仰せられて候へは、
但念仏か決定往生の業にては候也。善導和尚は阿弥陀仏化身にておはしまし候へは、それこそは一定にて候へと申候に候。又女犯と候は、
不婬戒のことにこそ候なれ。又御公達共の勘当と候は、不瞋戒のことにこそ候なれ。されは持戒の業は仏の本願にあらす。
堪へんに随ひて勤めさせおはしますへく候。又銅の阿字のことも、同しことに候。又錫杖のことも御仏の本願にあらぬ勤めにて候。
とてもかくても候なん。又迎接の曼荼羅は大切におはしまし候。それも次のことにて候。只念仏を三萬若しは五萬若しは六萬、
一心に申させおはしまし候はむそ、決定往生の行ひにては候。こと善根は念仏の暇あらはのことに候。六萬返をたた一心に申せ給はは、
その外には何事をかはせさせおはしますへき。忠実に一心に三萬五萬念仏を勤めさせたまはは、少々戒行破れさせおはしまし候とも、
往生はそれには依り候ましきことに候。たたしこの中に孝養の行は仏の本願にては候はねとも、八十九にておはしまし候なり。
相構へて今年なんとをは待ち参らせさせおはしませかしと覚え候はす。只ひとり頼み参らせておはしまし候なるに、
必す必す待ち今らせさせおはしますへく候。恐々謹言。
五月二日 源空状
武蔵国熊谷入道殿 御返事」
(清涼寺蔵『源空自筆消息』)