●建永2年(1207)正月 「法然上人より消息、名号が届く」
あるとき、法然上人は源智上人の願いによって金泥の名号に、「唯たのめよろづの罪は深くとも 我が本願の有らむかぎりは」と、
歌を書き添えて与えた。これが、問題の金泥の名号である。
源智上人が縁者の願いによってこの名号を臨終の人の枕元に掛けたところ、その人の命終のときが近づくと、この名号は金色の光を放ち、
目も開けられぬほど家中が輝いた。そして、音楽が天から流れ聞こえ始めると、阿弥陀佛、観音・勢至両菩薩をはじめとし、
二十余の菩薩たちが来迎し、往生を遂げるという奇瑞を発したという。
これを聞いた蓮生がじっとしていられるわけはなく、さっそく源智上人の庵を訪ね、この金泥の名号を拝んでいた。ところが、
何故であろうか、それともやっぱりであろうか、蓮生は無性にこの奇瑞の名号が欲しくなってしまったのである。さりとて、「欲しい」
と言っても譲ってくれるはずもなく、しかし「欲しい」という気持ちは抑えられず、気が付くと名号を自分の懐にしまい込んで帰ろうとしていた。
「これでは盗人になってしまう」、そう思ったのか蓮生は「あまりの有り難さに秘かに預かり受け、大事にいたします。蓮生」と書き付けを残し、
足早に帰って行った。
この書き付けを見て、源智上人の弟子たちは驚き、蓮生のもとに取り返しに行ったのであるが、蓮生は、「断りもなく持ち帰ったとは、意外な。
口で申すのは偽りあると存じ、ことわり書を如来さまの前で訳を申して置いてきたわ。大切な名号を盗まれたとは何事ぞ。盗みはせぬわ。
こうなっては堪忍ならぬ。是非と申さば腕ずくじゃ。」と開き直り、弟子たちを追い返してしまった。
冷静になると蓮生は自分のしたことの重大さに反省し、「自分のような悪人でも往生できるのか、 自分のような腹悪しき者(短気で怒りっぽい者)でも往生できるのか、源智上人より金泥の名号を無理矢理取り上げてしまったが、 それも罪になるのか。」と、法然上人におのれの罪を問う手紙を書き送った。源智上人よりことの次第を聞いた法然上人は、「なるほど、 さなれど盗みは盗みなり」と子供の悪戯に等しいその行為に苦笑し、同じ金泥の名号を添えて、蓮生にこう返事をしたためた。
「・・・又勢観房へ書てさづけ候金色の名号あまりほしさに、押さえてとらる由うけ給候。是は罪がくるしからざるかの御尋承り候。 たとひ罪にならず共、他人のものを押さえて取る法や候。其上大なる罪にて候。急ぎ返され候へ。是もはら悪しきからおこる事にて候。 志はあはれに候ほどに名号書て参候。
つ井の歌は真如堂の如来よりさづけ給ひ歌にて候。金色にしたく候へども、いそぐ便宜にて候程に、墨のまま参せ候。
京と国と程遠く候ほどに、しるべに判を加へて参らせ候。悪筆にて人の見候事もはばかりながら、師弟の契約にて候へば、かつうは形見に候、
穴賢。
建永二年正月朔日
熊谷入道殿 源 空
唯たのめ 萬の罪は 深くとも 我本願の あらむ限りは 」
(『応声教院蔵本』、『真如堂縁起』)
名号が源智上人に戻り、世間にある欲からくる盗みとは違い、安楽浄土を願って一途に生きている蓮生の心情を源智上人は痛いほど感じ、 同じ念仏者として共感を強めたと言われている。