●「証拠阿弥陀如来略縁起」

「証拠阿弥陀如来 御丈三尺 恵心僧都作」
抑此尊像は熊谷氏先祖より伝来する所にして
[阿多見禅師聖範京都にて恵心僧都より直に乞請彫刻して住居のため下向せし東国へも是れを笈に入持下り 安置宗敬せしと云]
霊験無双なりしかば次郎大夫直貞夫婦十七日丹誠をこらし折りしに瑞夢を感じ太郎直正次郎直実を生む、
されば直実都より帰り居城の中に草庵を結び常修念仏の本尊と仰、或時我平日上品上生を願ふ、此願若成就せは先瑞相を現じ給へと、
願ければ本尊光を放ち命終の日限を告給しかは是より証拠の弥陀と名奉る也。永正三年(1504)の頃同郷平戸村に浄安と云道心者者有、
兼而霊験無双なる事を聞、我本尊とせはやと窃に盗み出せしに終夜此宿内を出る事不能
[其頃霊仏を奪ひとりて我寺或は其家に伝る事信心より起りあまたあり]曙になりしかは詮方なく中田氏の縁先に捨去りぬ
[此事顕しかは諸人当山に送りかへしぬ]其後浄安来て右之由懺悔し本堂に籠りける、天正十年(1582)の頃も盗取んとて入込し者有しか共、
大磐石の如くなりしと云[西求坊と云僧]此外奇瑞のあまたなりしかは秘仏となし奉る也、信敬拝念の輩は七難即滅 七福即生の利益を蒙り、
取分女人に難産の愁なく子孫繁栄の霊験いちじるき所なり。