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2006年04月07日

●後書き

 昨今、日本人は武士道の精神を思い起こすべきであるなどという論調が流行っていますが、「サムライニッポン」 などというキャッチコピーをお聞きになったこともおありかと思います。ですが、武士とはそんなに美しいものでしょうか。強きを挫き、 弱きを助ける、主君のためなら命をも投げ出す、そんな格好良くもて映やされていますが、実際の武士は違います。所領の安堵のため、地位・ 名誉のため、戦さでは多くの敵兵を薙ぎ倒し、ときには親兄弟までをもその手に掛け、多くの命を摘み取るのが武士なのです。

 熊谷直実もこのひとりでしたが、彼は武士としての道を突き進むことを選ばず、有縁無縁の衆生と共に蓮の上に生まれる道を選び、 法然上人の門をたたいたのです。
 今のわたしたち、出世のためには他人をも陥れたり、われ先にと自分勝手な振る舞いを、つい、してしまいます。 競争主義の現代社会では致し方ないことなのかもしれませんが、私のような若輩者が申し上げるのも失礼かとは思いますが、今、 あらためて自分を振り省ってみとどうでしょうか?

 『一の谷嫩軍記』「熊谷陣屋」の段の最終幕で、僧形で去っていく姿があります。熊谷さんが最後に選んだ道は、
これは、所領・地位・名誉を守る騎馬に乗る剛々しい鎧姿の武士ではなく、心を守る、心の安住を求める墨染めの衣をまとった念仏行者であった、 ということを、この歌を通して、みなさんにおわかりいただけたらと思っております。
 熊谷さん、と言ったら「直実」では無く、「蓮生」と出てくるようになったらなあ、と思っております。