2015年02月22日

●春日部仏教会さま

春日部市の仏教会会員さま9名が当山にご参拝され、お念仏をお称えいただきました。ありがとうございました。
幸いにも前日までの冷たい雨も上がり陽も射す陽気となり、境内ではウグイスの初鳴きが聞こえました。


2013年04月20日

●「お釈迦さまが示してくださったこと」

20130420本日、当寺院にてお釈迦さまの誕生を祝う「花まつり(降誕会)」が開かれました。
お天気が心配されるなか始まりましたが、みなさんの思いが届き、何とか雨は降らずに終えることができました。

お釈迦さまは仏教を開かれ、私たちにたくさんのことをお示し下さっております。
その中に「諸行無常」というものがあります。
永遠の物は無い、すべては移ろいゆき、いつかは朽ち衰えてしまうものであるという教えですが、私たち人間の命も例外でないのは言うまでもありません。
それには、老いた者からという順番も当てはまりません。事件や事故・災害にあってしまえば、人の死は突然やってくるものです。
私たちは、頭ではわかっていますが、普段はそんなことは少しも考えないものです。それ故、いざその時が訪れると、慌てふためき、ああしていればよかった、こうしてあげればよかったという後悔や自責の念に苛まれ、悲しみの底に陥ってしまうのです。

ですが、お釈迦さまはこう教えて下さっています。

私たちのこの世界から西の方へ遙か遠く離れた処ではあるけれども、西方極楽浄土という世界があり、そこにはその浄土を造られた阿弥陀さまという仏さまがいらっしゃる。この阿弥陀さまは、私たちがこの世界で命を終えたとき、私たちの南無阿弥陀仏というお念仏の声を聞いて迎えに来てくださいます。
そして、その浄土へと導き、往生させてくださいのです。阿弥陀さまは、迷いや苦しみの一切無い、楽しさに満ちあふれた素晴らしい世界で、笑いながら楽しく健やかに暮らしていって欲しいというすべての人を救いたいという有り難い願いを持たれた仏さまなのです。
私たちや愛するご家族がこの世界で命を終えたとしても、それですべて終わりではない、すべて消えて無くなってしまうわけではない、浄土での素晴らしい生活が始まるのです。そして、お念仏をお称えしていれば、私たちも必ず浄土へ往生でき、また昔のように同じ蓮の花のうえに乗って、膝を並べて楽しく過ごすことができるのです。

お釈迦さまは、このように私たちに教えてくださっております。

有り難い教えを示してくださったお釈迦さまに感謝し、その誕生をお祝いし、またそのお釈迦さまが教えてくださった阿弥陀さまに先に浄土へと往かれた愛するご家族とみなさまご自身のために、日々南無阿弥陀仏とお念仏をお称えしましょう。

2012年12月29日

●「深夜11時の侵入者」

昨日、深夜11時数分前のことです。
寺務室にて残務処理をしていると、
「ゴロゴロッ」とお寺の門が開くような音が・・・
「ん?」と違和感を感じるやいなや、犬の吠える声が・・・

窓から外を見ると、誰かが入ってきているじゃないですか。
でも、この時間に連絡も無く訪れる人は尋常ではありません。
しかも、2重に閉めてある門を開けて・・・

懐中電灯を当てると、驚いたように立ち止まり、Uターンして逃げるように門から出て行こうと・・・
門から出て10数メートルのところでその初老の男性に追いつき、顔を見るとびっくりです。
先日12月16日のお昼2時過ぎに、法事を終えたお檀家さんの出入りに紛れて境内に入ってきて、立入禁止と書かれた看板の目の前の垣根の柵を乗り越えて本堂に侵入しようとした人と同じ人でした。
そのときは、「参拝だ」と言い張っていましたが、わざわざ自転車を境内敷地の遠く端のほうに隠すように駐めていたことからも普通の参拝の人とは違いました。
賽銭泥棒や空き巣などの物取り犯罪者がとる特有な行動なのです。

そのときの初老の男性がまた・・・
しつこいというか執念というか、いい年をして呆れるばかりです。

こういった方は、どのような人生を送られてきたのでしょうか。
このようなことをしながら生まれてきた訳ではないでしょうない・・・
少しでも心を入れ替え、人に胸を張れる一生を送っていただきたいものです。

2012年02月22日

●「念仏は何のため?」

最近のことですが、”祈願”や”お祓い”をお願いしたいという電話が増えております。
当寺院としては当然のことながらこういった祈願やお祓いの類いは致しませんので、丁重にお断りしているのですが・・・。
2週間ほど前のことです。

「○○の会は、その会の発展を祈願してもらった、と言っていた。だからうちにも祈願して欲しい」

祈願などした覚えはありません。
ですが、「どうしても」と退いてくれません。

「どなたが当寺院で祈願したとおっしゃってましたか?」
と尋ねると、「○○の会の報告書に書いてある」と・・・。

先日、その報告書なるものを見る機会がありましたので該当箇所を読んでみますと、確かに「○○会の発展を祈願した」と書いてあります。

その会は、当寺院に参詣に訪れて、その際数分ですが蓮生法師のお話をさせていただきました。
当然のことですが、蓮生法師のご供養のため、念仏を称え、参加者のみなさんにはお焼香をしていただきました。
このとき、回向文として読み上げた文章が勘違いされたようなのです。

「当時開山蓮生法師並びに本日○○会に集いし一切の衆生のために・・・」

蓮生法師のご供養のため、あわせて今日ここに集まった○○会のひとびとの”西方極楽浄土往生”のために・・・

と言う意味です。
○○会のためでは無く、今日○○会に参加された人たちのために、なのです。


お念仏というものは、私たちの来世往生浄土のためであり、ご先祖さまたちのご供養のためにお称えするものです。
祈願とかお祓いのために称えることはありません。

2012年01月25日

●「御忌」


本日1月25日、浄土宗開祖法然上人の801回目のご命日が訪れました。

浄土宗では、このご命日のことを御忌(ぎょき)と呼んでいます。
「御忌」とは、本来は天皇や皇后の命日の法要の尊称であり、この言葉を一般的に使用するのは許されないことでした。
大永4年(1524)、後柏原天皇が知恩院25世存牛上人に「浄土宗を開かれた法然上人の恩徳を忘れぬよう、知恩院にて7日間の御忌を勤めなさい」という『大永の御忌鳳詔』を出されたことが始まりでした。

以降、知恩院では毎年1月に御忌法要をお勤めしておりましたが、寒さの厳しい京都に於いて、より多くの人々にお参りをして欲しいとの理由から明治10年から桜の咲きほこる4月にお勤めされるようになりました。

「南無阿弥陀仏」と声に出して称えるだけで老若男女区別されること無く西方極楽浄土へと往生することができるという、すべての人々が救われる
有り難い教えを私たちに示してくださった法然上人の恩徳を忍ぶ大切な日となっています。

2011年06月28日

●「暑い熊谷」

先週6月24日、熊谷は6月としては20年ぶりに記録を更新する39.8度という暑い1日となりました。その時間、外で雑木を伐採したり、草むしりをしたり・・・、そんな作業をしていましたが、暑いとは言え、そこまでになっているとは思いませんでした。

思えば、2007年の8月16日に、40.9度を記録したときもそうでした。当寺は盆施餓鬼法要の日で、長い衣を着て袈裟をつけての法要はハンパではありません。背中や胸、を汗が流れ落ち、腕からはポタポタ・・・。額から流れる汗は、口に入るとしょっぱいですし、目にはいるとこれまたしみて、目が開けてられないほどです。ですので、汗を拭くくらいは大目に見ていただきたいと思います。

ボヤキばかりになってしまいましたが、熊谷は、これから益々暑くなっていくと思われます。お体にお気をつけて、ご先祖さまたちが里帰りされるお盆をお迎えしましょう。

2011年06月01日

●「旧い車はいかがでしょうか?」

一部のお檀家さんはご存じかと思いますが、私は1976年式のトヨタセリカLBに乗っています。旧車(クラシックカーとまでは行かないノスタルジックカーと呼ばれています)がお好きな方はご存じのことでしょう。グレードは1600STで、51年排ガス規制をクリアしたTTC-C仕様車です。
20110626 これに乗り始めて1年ほど経ちましたが、古い車故に今時の車と違って手間が掛かります。最初は問題なかったのですが、しばらく乗っているうちに、マフラーは腐食して落ちるし、メーターは動かない、窓ガラスの開け閉めが非常に渋い、ヘッドライトが暗い、サビで塗装がパリパリと剥がれる、などなど数え上げればキリがありませんが、ひとつひとつ自力で、いえいえほとんどプロの力を借りて対処してまいりました。
ただしこの外装や内装とは対照的に、エンジン自体は何の問題も無く、すこぶる良い状態なのが救いです。

ちなみに、旧車に乗ってみたいけど初めてという方にアドバイスです。
自動車に関わる税金等は、車齢13年を超えると1割増しとなります。また、価格はピンからキリまでです。新車並みに仕上げてある車を選べばそれなりの価格になります。実際に、スカイラインGT-R(通称ハコスカやケンメリ)ですと数百万から1千万ととんでもない価格なってます。こういった車を買える方はそうはいらっしゃらないと思います。イマイチだと感じる状態の車や不人気車を選べばかなりお安くはなります。が、乗り始めると、きれいにしたいという欲求が生じてまいりますし、避けては通れない修理などが必要となってきます。ちなみにこの車の場合は、ラッキーなことに非常にお得でした。軽自動車の中古よりお得でした。
その後それなりのメンテナンスは必要となりましたが、トータルでスズキアルトの最下位グレードくらいで済んでいます。(あえて金額は申し上げません。各自お調べ下さい。)

最近は、たくさんの旧車が集まるイベントも多数開催されています。
お檀家のみなさまのなかで旧車をお持ちの方もいらっしゃることと思います。
当寺の催し物(開山忌や花まつりなど)のときに、数台の旧車を並べて展示するなんてこともできたら楽しいのかなとも思っております。そのときには是非ご協力お願いいたします。

2010年09月18日

●「人は死んだらどうなるのか?」 

            誤解を生じる恐れがありますので、必ず最後までお読み下さい。

 『地蔵十王経』という経典によると、人は死んだ後、通常七回の審理を受けると説かれています。

 

 十王とは、秦広王、初江王、宋帝王、五官王、閻魔王、変成王、泰山王の七王に、平等王、都市王、五道転輪王の三王を合わせた十人の王のことを言います。

 人はその命を終えると、先ず秦広王による書類審査を受けます。そしてその審査が終わると三途の川を渡ることとなります。この川には舟渡しの者がいて、金銭六文を支払えば船に乗せて向こう岸まで渡らせてくれます。棺の中に六文のお金を入れる風習はこのことに由来します。しかし、金銭を払わないならば、自力で川を渡るしかありません。当然、着ている衣は川の水で濡れてしまいます。ナントカ川を渡りきると、奪衣婆・奪衣爺という老夫婦が近づいてきて自分の衣をはぎ取ります。そしてその衣を近くの木の枝に掛けます。川の水で濡れている衣ですので、枝は当然しなります。その枝のしなり具合で生前の罪の軽重が計られるのです。

 また、この三途の川の河原は「賽の河原」と呼ばれていて、幼くして命を終えた子供たちがたくさんいます。親より先に死んでしまったという罪のため、ここで泣きながら石をひとつ、ふたつと積んでいきます。三つめを積み終えると赤鬼・青鬼がどこからとなく現れて、積み重ねた石を崩していきます。こんなことが永遠と繰り返されていくのです。

 ちなみに、ある菩薩はこの賽の河原に現れ、「自分をこの世界の母と思え」と語りかけます。この菩薩の呼びかけに呼応して裾へとすがりついてきた子供たちをすくい上げるのが地蔵菩薩です。

 二七日となると、初江王により殺生・邪淫・妄語・飲酒・偸盗の五悪について審査がされます。この時点で決定される行き先は針の山や火の地獄となります。

 お釈迦さまの救いである『くもの糸』というお話はこの場面です。

 三七日へと進んだ者は、宋帝王による審査を受けます。ここでは、邪淫について大蛇が亡者の胸を割いて審査します。何故かここで審査されるのは女性のみです。有罪とされた者は血の池地獄へと落とされます。

 四七日では、五官王によって妄語について裁かれます。有罪人は首枷を着けられ、針のむしろに座らされます。また、舌を抜かれたり、身体を粉々に切り刻まれたりという刑を受けます。バラバラにされて息絶えこれでやっと楽になれると思うと、その瞬間に生暖かい風が吹いてきて、気がつくと生き返ってしまいます。永遠と地獄の苦しみが続くこととなります。

 五七日においては、その担当は皆さん一番ご存じの閻魔王です。裁判の道具として有名なの「浄瑠璃の鏡」を使い、その亡者の前世、すなわち生前の善悪を写し出し、有罪無罪を決めます。また、この世に残された遺族による追善供養における態度も証拠品とされるため、私たちの死者に対する心持ちが重要となってきます。三十五日にて満中陰法要を勤めることが多いのは、地獄の大王である閻魔王が決した判断に誤りはないからという理由からです。

 六七日には、変成王が現れます。部下には人間の善悪を見破れる目を持つ三つ目の鬼がいて、ここで有罪とされると釘打ちの刑に処せられます。ですが、身代わりに四十九個の餅を捧げるとこれを逃れることができるとも伝えられています。

七七日、すなわち四十九日の担当は泰山王です。ここまで来た亡者は、最終判決で六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人界・天界)のいづれかの行き先を決せられます。

 また、命終えたときからこの四十九日間は中陰と呼ばれています。死者の行き先が決まっていない、すなわちこの世にもあの世にもいない中途半端な状態にいることから陰の中にいるという意味でこの呼んでいるのです。その中陰である状態が満了したということで、この四十九日は満中陰と呼ばれています。

 ですが、このことが説かれている『地蔵十王経』という経典は中国の『地蔵経』という経典を日本に合うようにアレンジし伝えられたものです。さらに言いますと、この『地蔵経』は偽経であって、本物の経典ではありません。そもそも経典というものは、インドでお釈迦さまが説かれたお話です。この『地蔵経』はお釈迦さまが説かれたものではありません。中国でできたものなのです。お釈迦さまの真の言葉ではない、すなわちこの『地蔵経』に説かれている四十九日の考えは本当の仏教にはないものなのです。

 浄土三部経のひとつである『阿弥陀経』にはこう説かれています。「人は南無阿弥陀仏と称えていれば、その命を終えるときには慌てることなく心安らいだ状態でいられ、阿弥陀さまが迎えに来て下さる。そして、ふと気づくと浄土へと生まれている。」まさに即得往生であり、行き先が決まるまで四十九日間かかることなどありません。

 私たちが今勤める四十九日の法要は故人のご回向であることは当然ですが、私たち自身のためにお勤めすることに本当の意味があるのです。少々長くなってしまいましたので、このことについてはまた別の機会にお話させていただきます。

2010年08月16日

●「私説法然上人伝1」

「文殊菩薩一体お届けします」

 平成二十三年正月二十三日、法然上人の八百年御忌(ぎょき)が訪れます。皆さまご存じの熊谷蓮生法師の師匠でもあり、浄土宗を開かれた方でもあります。この八百年御忌を迎えるにあたり、法然上人の生涯を少しばかり振り返っていきたいと思います。

 法然上人のお生まれは、平安時代末の頃で、長承二(一一三三)年四月七日のことです。美作国久米南条稲岡庄(現在の岡山県久米南町)に押領使(おうりょうし)という役を任じられた漆間時国(うるまのときくに)という豪族がいました。時国の妻は渡来人の流れをくむ秦氏(はたうじ)といいました。

 時国夫妻には久しく子供が授からず、館近くの岩間観音と呼ばれる寺にて祈願を重ねていたところ、その成満の日に、秦氏が剃刀を呑むという不思議な夢を見て懐妊され、お生まれになったのが法然上人でした。幼名は、智恵の象徴である勢至菩薩(せいしぼさつ)にちなんでは勢至丸(せいしまる)と名付けられました。

 また、このとき、空には紫雲がたなびき、貴い人が生まれた瑞(あかし)とされている二流の(ふたながれ)白い幡が、どこからか風に流れてきて、庭の椋の木に掛かったと言われています。

  「両幡(ふたはた)の天下り(あまくだ)ます椋の木は

       代々に朽ちせぬ法(のり)の師のあと」

 このお歌は蓮生法師が、師匠法然上人の生家を初めて訪れたときに詠まれたものです。法然上人御自作の木像を背負って、法然上人の代わりにご両親のお墓に参った蓮生法師は、この椋の木を見て、「お念仏の教えは、今までも、今も、そしてこれからいつまでも決して朽ちることはない」と感激し涙を流しながら念仏を称えたと伝えられています。

 両親の慈愛のもとで健やかに育たれた勢至丸でしたが、九歳のとき、明石定明(あかしさだあきら)という源内武者(げんないむしゃ)の夜襲を受けます。この明石定明とは、都の貴族が地方に所有する荘園(私有地)の管理を任せるために派遣したひとりです。一方、漆間時国は国の役人として押領使という権限を与えられています。両者がぶつかるのは避けられないことで、今まで積み重なった確執がここに夜襲という形で爆発したのです。

 寝込みを襲撃された時国が不利なのは言うまでも無いことですが、日頃から武芸に秀でていた勢至丸さまも弓を引いて応戦されました。その一筋の矢が明石定明の右目を射貫いたのです。重傷を負った定明の軍勢は一斉に引き上げていきましたが、時国もかなりの重傷を負い、この数日後に息を引き取ったのです。

死の間際の父時国に対して、勢至丸はこう言いました。

「父上、この仇は私が必ず果たしてみせます。」

こう息巻く勢至丸に対し、時国は息も絶え絶えながらこう言ったのです。

「このたびの出来事はみな私の至らなさによるものである。もし、これを恨み、お前が仇討ちをするなら、相手もまたお前を恨み、仇討ちは尽きることなく繰り返されていく。出家をして私の菩提を弔ってくれ。そして、すべての人々が争うことなく、楽しく健やかに暮らしていける教えを探してくれ。」

 父時国の遺言をしっかりと胸に受けた勢至丸は、鳥取県との境近くにある那智山(なちさん)というところにある菩提寺(ぼだいじ)という寺に入りました。

 この菩提寺は、母秦氏の弟である観覚(かんがく)上人が住職を務めている寺です。叔父観覚のもとで仏の教えを学ぶこととなった勢至丸は、どんどんいろんなことを吸収し、覚え、そして自分のものとしていきました。こんな山奥に埋もれたままで一生を終えるのは惜しいと感じた観覚は、勢至丸に当時の仏教の最高峰である比叡山へ上ることを勧めます。

 比叡山に上るということは、母と子の長い別れを意味します。夫時国を失い、今また子とも別れなければならない母秦氏の胸中はいかばかりであったでしょうか。もちろん、このとき十五歳であった勢至丸にとっても辛い別れです。しかし、亡き父の願いである「すべての人々が楽しく健やかに暮らしていける教え」を必ず探し当てなければという熱い思いを胸に、悲しみを振り切って比叡山へと上ったのです。この思いが、やがてお念仏というすべての人々が救われる教えを開かれる大きな力となったのです。

 冒頭の「文殊菩薩一体お届けします」という一文ですが、勢至丸を比叡山へ紹介するにあたり、叔父観覚が師匠である持宝房(じほうぼう)源光(げんこう)上人への宛てたお手紙の中の一節です。

 文殊菩薩と称されるほど聡明であった勢至丸は、のちに比叡山において智恵第一と称されるほどの僧侶となったのですが、お念仏の教えにたどり着くまでの道はまだまだ険しいものでした。

2008年08月16日

●「盆施餓鬼会厳修」

本日、無事大施餓鬼会法要を厳修させていただくことができました。

今年は日本一を記録した昨年に比べ過ごしやすい送り盆となったのではないでしょうか。とはいいましても、 4時頃から降り始めた雨は轟音と稲光を伴い、今もまだ降り続いています。涼しくなるのはありがたいのですが、用水路は氾濫して道路は冠水し、 一度乗った車からは出られない状態です。夕方からお墓参りに行かれたお檀家さまにおかれましてはさぞや大変であったことかと思います。 どうか風邪などひかれないようにお気を付け下さい。

さて、本年の法要では初めて散華をさせていただきました。 散華とは仏を供養するために仏前に花を撒き散らす作法です。また、仏さまにおいでいただくのですから、その場を清め、 きれいに飾るといった意味もあります。事前の説明が不十分であったため反省しておりますが、 このお華はお持ち帰りいただいて結構なものです。 仏さまに確かにおいでいただいたという証拠となるものとお考えいただければと思います。

また、法要にご参会いただきました檀信徒の方にはお線香をお配りさせていただきました。ほとんどの方にはお配りできたかと思いますが、 ご用意させていただきました340束をすべて配り終えましたので、法要に参会された方以外にも少しはお配りすることができたかと思います。

先代の跡を継ぎ、最初の盆施餓鬼会法要でしたため至らぬ点も多く、お腹立ちの方も多々いらっしゃるかと思いますが、 檀信徒の皆さまのために心からお勤めさせていただく所存でおります。
今後ともよろしくお願いいたします。

 

2008年03月15日

●「梅にうぐいす」

 どこの誰が言ったのかはわかりませんが、「梅にうぐいす」とはよく言ったものです。
 「あれ、梅が咲いている」、そう気づいたのは数日前、今日はふと耳を澄ますとウグイスの鳴き声が聞こえてきました。「ホー、ホケキョッ」 と心安まる鳴き声の中に、あれ?「ホー、ホホケキョキョッ」、鳴き方が上手でないウグイスの声もチラホラ。
 思えば、私たちも僧侶に成り立ての頃は、お経が下手だったんでしょうねぇ。(決して今は上手だと言っているわけではありません)

 ウグイスは上手に鳴くことができるようになって一人前となりますが、私たち僧侶は、 お経が上手になったから一人前になったというわけではありません。生きている間がずっと修行なのです。 これで完成というのはどのレベルまでいけばいいのかわかりませんが、お檀家の皆さまとともの修行して成長していければと思っています。

 

2008年03月02日

●「蓮生法師を訪ねて」

 先日、宮城の熊谷さんが当寺に来られました。近々ご結婚されるそうで、その前に蓮生法師ゆかりの地を参廻されているそうです。
 以前このコラムで取り上げさせていただいた京都の熊谷さんもそうですが、この宮城の熊谷さんも純粋な方で、 蓮生さんてどんな方だったのだろうか?どんなことをされたのだろうか?と自分のご先祖さまをより知りたいとのお気持ちが強いかたでした。
 当日は法事も立て込んでおり、十分な対応をすることができず、申し訳なく思っております。「また、お邪魔するかもしれません」 といってお帰りになりましたが、是非いま一度いらしていただきたいと思っております。

 

2007年11月11日

●「直実の寺と鉄の門」

 このタイトルにあれっと感じた方はいらっしゃるでしょうか。本日付けの読売新聞紙埼玉北地域版に掲載された「彩の栞」 というコラムです。

 このコラム、何を訴えたいのかといいますと、 「今月3日に当寺に参詣でいらしたときに墓所の前の鉄門が開いていなかったことにショックを受けた」ということなのです。 その理由は御覧いただければわかりますが、この方、これまでの当寺と熊谷市との諸々のことをご存じないのかも知れません。 熊谷空襲の後のこと、境内一般公園化計画の反故、最近では、一般公開の際に御本尊・本堂内を隈無く撮影し、 それを資料に講演までされる方(当寺には断り無く、厨子の封を破ってまでして撮影されました)、数え上げれば切りがありません。 それでも一般開放すべきであると言われたら、その場合は熊谷市で管理していただき、その費用も熊谷市に拠出していただくしかありません。

 この方、こう文章を終えています。

「せっかく訪れた人を門前で突き放すような立ち入り禁止の立て札はいただけない。直実は、熊谷市のシンボル。 市のイメージダウンになりかねない。」と。

 当日、掲示板にその旨について詳しい掲示がされていなかったことは当寺の不備にて陳謝いたします。
 「直実は熊谷のシンボル」、それは結構なことです。異論はございません。ですが、当寺が一般開放するしないかが、 熊谷市のイメージを左右するとはどうしても思えないのです。なぜなら、この熊谷寺は直実の寺ではなく、 蓮生法師の開かれたお寺なのだからです。

 なぜ、「直実」ではなく、「蓮生」なのか。それを是非お考えいただけたらと思います。

 

2007年11月10日

●「直実ではなく、蓮生」

 昨今、日本では「サムライ」という言葉が流行っています。日本人は武士道の精神を思い起こすべきであるという論調が流行っています。 しかし、武士とは江戸時代でさえ、全人口の1割に満たなかったのです。ある文献によるとたった7%とも言われています。 このような僅かな数しかいなかったのに武士の心を思い出せというのも無理な話です。殆どがサムライではなかったのですから、 思い出しようも何もありません。
 それに、武士とはそんなにすばらしいものでしょうか。強きを挫き、弱きを助ける、主君のためなら命をも投げ出す、 そんな格好良くもて映やされていますが、実際の武士は違います。所領の安堵のため、地位・名誉のため、戦さでは多くの敵兵を薙ぎ倒し、 ときには親兄弟までをもその手に掛け、多くの命を摘み取るのが武士なのです。

 熊谷直実もこのひとりでしたが、彼は武士としての道を突き進むことを選ばず、有縁無縁の衆生と共に蓮の上に生まれる道を選び、 法然上人の門をたたいたのです。
 歌舞伎「熊谷陣屋」の段の最終幕で、僧形で去っていく姿があります。熊谷さんが最後に選んだ道は、所領・地位・ 名誉を守る騎馬に乗る剛々しい鎧姿の武士ではなく、心を守る、心の安住を求める墨染めの衣をまとった念仏行者であったのです。

 関西の方では、熊谷さんというと熊谷直実ではなく、熊谷蓮生と出てきます。ところが、寂しい話です。 ここ関東の地では熊谷直実公とは知っていても、熊谷蓮生法師という名はあまり知られておりません。熊谷でもそうなんです。事実、 熊谷駅前にある銅像も騎馬に乗る武者姿の熊谷直実公の姿をしております。市役所や観光協会の方達が、この熊谷寺を、熊谷直実を観光の目玉に、 などということをよく言って来られますが、この駅前の銅像を「逆さ馬」の銅像にしたほうがよっぽどインパクトがあって、話の種になり、 注目されると思いますが、どうでしょうか?


 先日、とある雑誌でこういったことを語っている方を見ました。

「熊谷直実さんの卓越した兵法(戦の仕方、攻め方などです)、これは現代でも十分通用する、これを見直していきたい、 この戦術は優れたものであって、大いに評価すべきだ、注目すべきだ」、

こう語られているのを見ました。

 私は、愕然としてしまいました。熊谷さんが願ったものは何なのか?私たちに戦争の仕方、兵法を残して、 もっと戦争をしろと願ったんでしょうか?もっと人を殺せと願ったんでしょうか?
 そんなことはありません。熊谷さんが願ったことは、共に浄土の蓮の花の上に生まれるということ、心ならずも討ち取ってしまった敦盛卿、 また有縁無縁のすべての衆生、そういった人々と共にすばらしい西方浄土という世界に往生すること、そういうことを願ったのです。決して、 戦が上手かった、人殺しが上手だった、そんなことを後世の私たちに褒めてもらいたかったのではないのです。 共に阿弥陀さまの浄土へきてほしい、そう願ったのです。


 皆さんにお願いがございます。

熊谷さんて知ってる?と尋ねられて「ああ直実さんね、板東一の剛の者ね」と、こう答える方に対して、「違うよ、蓮生さんですよ。 有縁無縁の衆生と共に蓮の台(うてな)に生まれることを願った、そのために一所懸命念仏をお称えした方ですよ」 とこう訂正していただければと思っております。

 

2007年09月27日

●「彼岸花」

 一般に彼岸花と呼ばれるこの花は、正式名は曼珠沙華といいます。
秋のお彼岸の頃に咲くことから彼岸花と呼ばれているのはご存じの通りです。

 田んぼや畑のの畦道や街角などに真っ赤に花を咲かせます。この真っ赤な色が火を連想させることから、 家に持ってくると火事になるなどと忌み嫌われることもあります。
そんな理由もあってか、そういった迷信とは関係のないお寺には駆除されることなく、毎年穏やかな顔でその花を咲かせるのです。

 彼岸花というと、前述のように真っ赤なものを連想されると思いますが、先日のテレビで、「白い彼岸花は珍しい」 とのことを言っていました。実は、当寺にあります。いただいたものですが、今年も真っ白な花を咲かせております。
 この白い彼岸花、白花曼珠沙華といい、赤い彼岸花と黄色い彼岸花の雑種とのことです。近くに植えてあると、 まれに白い花が開く彼岸花が生まれてくるそうです。いずれにしても貴重なそうです。ちなみに黄色い彼岸花とは実はヒガンバナではなく、 鍾馗水仙(ショウキズイセン)という形が似ているだけのものだそうです。なぜ違うもの同士が近くにあるだけで新しいものがうまれるのか? まったくもって謎だそうです。

 今まで特に何も考えずに見てきた彼岸花、これからは少し違った気持ちで見ることができそうです。

 

2007年06月25日

●教師詠唱勉強会

 今日は浦和・正樹院さまをお借りして、第2回の教師詠唱勉強会が行われました。 月例勉強会の翌日の朝にも関わらずお集まりいただいた皆さま、本当にありがとうございます。皆さんにとっては簡単すぎるのかもしれませんが、 私にとってはとっても勉強になりました。

 でも、昨日の2時間、今日の1時間半、都合往復7時間200キロの行程はきつかった。毎度のことだが、 特に上尾に入ると渋滞にはまってしまう。どーにかならないんでしょうかねぇ・・・。

 

2007年06月01日

●間違いを認める勇気

 いつからこうなってしまったのであろうか。人は生まれながらにしてわがままではなかったはずである。 幼いときは親や周囲の人々から怒られたり諌められたり、もちろん自分が悪い場合や、他人に迷惑をかけた場合であるが、素直に誤りを認め、 「ごめんなさい」と謝っていたはずである。

 それが、いつからこうなってしまったのであろうか。今も昔も、 何かをしでかした人たちはどうして心から謝ることをしないのでしょうか。事故や事件、いろいろなことが起こり、 その情報はテレビ等でリアルタイムでもたらされる。記者会見では、頭は下げるが足は組んだまま、遺憾との言葉は発するが、 心からの謝罪でないことは想像できる場合が多い。損害賠償など膨大な金銭の出費が伴うからであろうか。責任の所在は明らかにしない。 他人のせいのような発言、言い訳、こんなのばかりである。

 いつからこうなってしまったのであろうか。子供から大人へと歳を重ねていくにつれて、其の地位が高くなるにつれて、 人は謝ることを忘れていく。全員が全員そうであるというわけではない。そういう人たちが目立つだけかもしれない。大企業・ 中小企業に関わらず、謝ることをする会社は大成する。他人の意見に耳を貸し、自らに誤りある場合はそれを認めて、修正していくからである。 このことは何も企業に限ったものではない。人と人との付き合いの中でも常に意識すべきことであろう。

 そういう私も、いつからこうなってしまったのであろうか。我を張って、過ちを認めないことがある。他人のせいにすることがある。 後味がとても悪いのは言うまでもない。

 謝ることの大切さを知って欲しい。謝ることの勇気を持って欲しい。

 

2007年05月16日

●歴史のはじまり

 今朝の出来事です。資源ゴミを出しに行くと境内のとある石碑の前に人が・・・
蓮昭寺の境内は塀や門は無いため、出入りは自由です。
 「おはようございます。何をなさってるんですか?」と声をかけると、石碑に刻まれた文章を読んでいるんだとのこと。更に、 自分は郷土史の研究をしており、この石碑はこの地方に尽力した人のことがたくさん書いてあり、貴重な資料となります、 こういう歴史あるものは保存しとかないとね、とのこと。

 そう言う郷土史研究家さんの足元には無惨に踏まれて折られたアイリスが7,8本。 まるで阿弥陀さまの紫雲ではないかと思うような薄紫色の花を咲かせたアイリスです。あるお檀家さんにいただき、 妻と二人で丁寧に育て植えたものです。4年ほど前から始めて、他の花も揃い、やっと花壇と言えるくらいになったところです。 数人ではありますが、通りかかる方で、この花が咲くのを楽しみにしていると言ってくださる方もいます。

 貴重な歴史あるものですよ、きれいに保存しないと、などと声高に話すその郷土史研究家さんの足元で、 これから歴史を重ねて行くであろうものが壊されているのです

 私はあきれてしまい、もう何も言いませんでした。折れてしまった茎や葉はもう元には戻りません。ですが、このアイリスに、 来年もその薄紫色の花を咲かせて、道行く人々を喜ばしてくれる気持ちがあるなら、必ず咲くはずです。それを願うだけです。

 

2006年12月13日

●「財政破綻は誰のせい?」

  奄美市が破綻寸前とのニュースを見ました。1,2週間前の話題としますと夕張市の破綻がニュースのトップでした。また、 破綻したのかどうかわかりませんが、大阪府で裏金1,800万円とのこと、 職員に年数万円のスーツ代を支給していたと聞いただけであきれたのに、裏金まで貯め込んで赤字とは・・・。

 夕張市はご存じの通り炭坑で有名な町でした。その賑わいも相当なものであったようです。しかし、 時代のエネルギー需要は石炭から石油へと移行していき、ついには炭坑閉鎖となったわけです。そこで市は考え、 炭坑から観光の町へと変貌を遂げようと画策したのです。 炭坑閉鎖→炭坑関係の仕事人が移転→人口減少  といった流れを阻止しようとの考えであったようです。が、御覧の通りです。

市民は一様にこの市の政策を批判しているというシーンを何度もテレビで見ました。公共費用などがあがるなんてけしからん、と。 箱物観光なんてうまく行くはずないのがわからなかったのか、と。

でも、待ってください。その箱物で働き、給与を受けていたのはどなたなのでしょうか?炭坑閉鎖時に、 仕事がなければ他へ探しに行けば良かったのではないでしょうか?いつかつぶれるんじゃないかと考えないで過ごしてきたのでしょうか? 破綻した市の借金にはその方たちに支払われた給与もあるわけです。

 

 私たち人間は、さまざまな欲求をもっています。大きな音で音楽をかけ、隣の人に迷惑を掛けたり、 寝るときに隣の家のテレビがうるさいと文句を言ったり・・・。本当に自分勝手に生きています。私も人のことは言えません。 今一度立ち返って見つめてみたいと思います。「われは最愚なり」と言える自分になりたいものです。 そのとき新しいものが見えてくるような気がします。

 

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2006年09月20日

●「お彼岸」

  お盆が終わって一息ついていると、あっという間に秋のお彼岸がやってまいりました。

 中日(秋分の日)は、太陽の入りが丁度真西になる日となります。まさしく、 この日が沈む方向に阿弥陀さまのつくられた西方極楽浄土があり、ご先祖さまたちはそこで暮らしているのです。いつでも、 どこにいても我々のことを見守っていてくださる阿弥陀さまとご先祖さまたちのご恩に感謝し、普段無精な方(私も含め)も、 西を向いてお念仏をお称えしてみませんか?

 

2006年05月09日

●「ナイターテニス」

 2004年夏の「早朝テニス」から、はや1年9ヶ月。この5月より「ナイターテニス」を始めました。 なぜこのブランクかと言いますと、抽選に外れたんです。いや、抽選以前の問題です。2004年秋の「ナイターテニス」、 申込開始日の翌日に担当部署へ行きましたが、定員オーバーで受付終了でした。2005年春、 受付開示時刻の9時を10分ほど過ぎた頃に担当部署へ行きました。が、また定員オーバーで受付終了でした。さらに、同年秋、 9時ちょっと前に行きました。61番目、ん?定員は60人でした。

 そして、今春、受付場所がスポーツ運動公園に変わり、車で8時45分に到着。すでに、長蛇の列が・・・。

 

 結果、・・・・。 56番目でした。フゥー。

 

 で、連休も終了間近の5月6日、第1回の「ナイターテニス」が開催され、当然のことながら参加しました。今回もまた、 筋肉痛にならないように、力をセーブしながら、汗もかかないように、・・・。いえ、これでは運動をしようと思っていたのに趣旨が違います。 そう思っていても、やり出すと、つい動いてしまうんですよ。で、案の定、腕はパンパンで、足もボワーッとした状態。翌朝は、 腕と足がだるくてだるくて、自分の手足では無いかのような状態。で、翌々日はなかやまきんにくん、いいえ、筋肉痛となりました。

 以上、私の連休の仕上げでした。m(..)m

 

 

2006年04月19日

●「古文書のすゝめ 篇は候のうえに点を使わず」

 最近、というか前からですが、古文書を読みたいなという気が起こってきております。春の陽気のせいでしょうか?映像、 活字のあふれる現代社会、写経でもして心を落ち着かせ、右脳の活性化を図らねば、年老いていくばかりです。 パソコンやワープロなどに頼ってはいけません。ほら、そこのあなた、漢字は読めても書けなくなっていませんか?用件を伝えるのに、 携帯電話でメールを打ち込んでいませんか?鉛筆をもって紙に書くなんてこと、滅多にしなくなっていませんか?ましてや、 筆をもってなんて過去の遺物となってやいませんか?もっとも、われら僧侶は塔婆や位牌などは墨書きしますが・・・。

 で、古文書を読むことにしました。実は、最近浄土宗関係の古い書物を手に入れまして、でも読めないところが多いんです。しかも、 祖父の書いた書類まで読むことが出来ない始末。続け字や略字やら、これはもうまったくわかりません。知らないところに連れて行かれて、 言葉も通じず、文字も読めず、そんな気持ちがわかります。もっぱら江戸時代の文書ですが、われわれ現代人には不可能です。 江戸という国の言葉であって、あれは日本語ではない!
 
 読んでくれる人もまわりには居らず、自分で学習することにしました。古文書入門なる本を買って、読む。例題がずらずらと。「候」 という字だけで略し方などは10数種類あるんです。なんとなく想像できるものから、点が2つだけなんてものまで。 頻出ですから覚えておきましょう、って、覚えられません。次の例題に進みます。篇の第1画が省略された字?頻出ですから覚えておきましょう? こんな風に例題がさらにずらずら・・・・。覚えられません!  

もう、やめです! ゝゝゝゝ

私はパソコンで十分です。一太郎で文章つくります。携帯でメールします。そう、宣言します。今後、一切古文書には手を出しません、 だから許して下さい。そして、お願いです。古文書をOCRできるソフトをどなたか開発して下さい。私、買います!値段が高くても買います。
 
 と言って、投げ出してしまいたいのは山々ですが、そうも行かない今日この頃、みなさんも私と共に、デシベル計算がどーのこーの、 サインコサインタンジェントとやっていた頃の青春時代に戻ってみませんか?

 

 

2006年03月16日

●「お彼岸」

 もうじきお彼岸ですね。もうお墓参りの予定をお立てになっていますでしょうか?
 
 ところで、「お彼岸」って何なのでしょうか?今では以外とご存じの方は多くないのでしょうね。お参りに行く日のこと、とのみ覚えていて、 そのいわれや、何故お彼岸にお墓参りに行くのか、そこまでご存じの方は残念ながら少なくなってしまっているようです。

 お彼岸、つまり”彼岸”という言葉そのものの意味は”あちら側”ということです。これと対する言葉は”此岸”、つまり”こっち側”です。 仏教では”こちら側”は貪・ジン・痴の満ちている迷いの世界であり、”あちら側”はこれらの迷いを断ち、悟りを得た世界としています。 いま我々が生きている場所は、様々な誘惑などであふれており、亡くなられた方々は阿弥陀様の功徳によって、 迷いや悩みから離れた悟りの世界である”彼岸”に往生するわけです。

 では、何故お彼岸にお参りをするのでしょうか?お彼岸とは春分の日を中日とした前後の七日間のことをいいます。この中日には、 太陽の沈む方角が真西になるため、この頃に先祖を供養すれば、みんな浄土に行くことができるという考えられています。こういった考えから、 お彼岸に供養するという習慣ができたのです。

 われわれ人間はひとりでは生きていけないものです。小さいときは親に世話をしてもらい、年をとれば子供の世話になる。また、 自分も親や子供の世話をしていくものす。少なからず、自分以外の人と関わり合いながら生きていくのです。いうまでもなく、 ご先祖がいなければわれわれは今こうして生きていることはないわけです。その恩を感謝する気持ちを持って、 浄土にて健やかに過ごされますようにと供養することが大切なのです。

2006年02月08日

●「熊谷陣屋鑑賞」

 昨日、歌舞伎「熊谷陣屋」の2段目を鑑賞してきました。
 昨秋に同じく「熊谷陣屋」の3段目を鑑賞しました。順番が逆となってしまいましたが、 最後の顛末がわかっているだけにまた違う見方をすることができたのです。

 ご存じの方も多いと思いますが、内容については、義経が出した桜の木の「一枝を切らば、一指を切るべし」との高札を見て、 直実がその真の意図するところを理解し、平敦盛の身代わりに自分の子直家を討つ、といったものです。命令とはいえ我が子を身代わりに立て、 討ち取るというその際の揺れる心情を鑑賞するのが醍醐味といえます。蛇足ですが、 史実を元に実は裏の展開があるのだというところは千葉真一主演の「影の軍団幕末編」に似ているかと。私、この番組が好きでして、 何回か見ています。ちょっと本筋から外れましたが、歴史が好きな方にはお勧めです。仮面ライダーばかり見ている訳ではないのです。 どちらも似たり寄ったりですが・・・。
 で、3段目のところでは義経の面前にての首実検で、息子直家の首を敦盛の首と言って見せる訳です。 直実の妻相模の方や敦盛の母藤の方は初めてそこで事実を知る。それと同時に、この世のつらさを痛感した直実は出家し、 蓮生と名乗り陣をあとにしていくのです。
 
 前回に続いて2度目の鑑賞ですが、この陣屋や芝居のような演目は十分に楽しめました。が、踊りや舞などについては、 勉強不足のせいか今ひとつ理解できませんでした。まだまだ、「歌舞伎っていうものはこれこれこういうものだよ」 などと人に話せるレベルではありませんが、こんな私でもそれなりに楽しめました。皆さんも、一度ご覧になってみたらいかがでしょうか?

2005年12月19日

●「仮面ライダー」

 仮面ライダー。 

 昭和40年前後に生まれた方にとってはウルトラマンとともに懐かしさが感じられることでしょう。今も、 平成ライダーシリーズが放送されていますね。
 何を隠そう、この私も仮面ライダーファンの1人です。数年前に限定発売されたDVD-BOXも買ってしまいました。でも、 まだ開封していません。見ていません。そう、買ったものをそのまま保存してあります。開けてしまうのが勿体なくて・・・(^_^;)。
 皆さんも、テレビ番組等を録画して、見ないまま保存してあるビデオがいっぱいありませんか?
他人は、「何年も見てないんだからこの先も見ないだろう、処分しちゃえよ」と言いますが、保存しておけば、「いつでも見ることが出来る」 という安心感が大切なのです。
 話は戻りますが、今回、仮面ライダー旧1号の全身フル可動のフィギュアが発売されるというのです。衝動的に予約してしまった・・・ (゚◇゚)。 早く手にしたい、でもまた開封しないで箱に入れたまま飾っておくのであろう。

 真のオタクによると、こういうときは3体購入するのだという。1体は開けて遊ぶために、 1体はプレミアがついたときにオークションで売るために、そしてもう1体は、将来の自分博物館への陳列のため、だそうである。
 まだまだ真のオタクにはなれないが、第1歩を踏み出してしまったかもしれない・・・。

2005年12月12日

●「こんな時代に誰がした?」

またしても子供が襲われた。

最近、こういった事件が多いような気がする。
が、よく考えてみれば昔もこのような事件はあった。
何も、今の時代が悪い訳ではなかろう。
 
 と、こんな言い方をするのも、先日見たとある朝のワイドショーで、 今年の紅白の司会をする予定でおばさま達に絶大な人気を誇るおもいっきりなタレントがこう語ったからである。
 
「。今の20代30代の若者は大人になりきれていない。戦中戦後の激動の時代を生きてきた今の50代60代70代の大人は怒っている。 今の時代はおかしくなっている」と。 
 

 ちょっと待って欲しい。今の時代をつくってきたのは50代60代70代の大人たちであり、今の20代30代はあなた達の子供の世代である。 こんな若者にしか教育できなかったのは、こんな時代にしてしまったのはあなたたちなのである。昔はよかったとか、 昭和30年代40年代はいい時代だったなどとノスタルジーに耽るのはとんでもない。 水銀垂れ流しの水俣病や大気汚染全盛の川崎病や四日市ぜんそくなど、とんでもない時代であったではないでしょうか? その時代々々ごとに悪いことがあり、その時代々々ごとに楽しいことがある。そういうものではないでしょうか?

 無責任に何でも他人のせいにするのはやめてほしいものです。
 われわれを含め、若者も年寄りも、自分の今までしてきたこと、今していること、そしてこれからすべきこと、 これを常に頭の中に置いて言動していくことが大切なのではないでしょうか。

2005年11月01日

●「璽書伝授伝戒道場成満」

 去る10月24日から昨日の31日まで、東京芝の大本山増上寺にて璽書伝授伝戒道場に参加しました。わずか8日間とはいえ、 それなりのことをするわけでして、日頃怠けていた身体にはさすがに疲れを覚えました。剃髪した頭も坊主刈り程度にまで伸びましたが、 まだ頭が寒く感じています。

 宗脈と戒脈の相伝を受けるのが加行であり、これを修めて初めて僧侶と呼べるのです。これに対して、 今回の璽書伝授伝戒とは浄土宗における最高位の行であり、資格的に言うと、自ら他に対して戒脈を授けることの出来る権利・ 資格を得たこととなるのです。言うなれば、一皮剥けた僧侶とでも言うのでしょうか?(表現が適切ではないかも知れません)

 いずれにせよこれを機に気持ちを入れ直し、より一層の精進修行をしていく所存です。皆さまのご指導のほどよろしくお願いいたします。

2005年09月04日

●「布教とは」

 本日、本宗布教師の谷崎隆光先生が、当寺院へお立ち寄りになりました。この日、 午後から深谷市の東源寺さんで施餓鬼法要が予定されており、そこでご法話下さるため、遠路金沢よりいらっしゃいました。 時間まえにお立ち寄りいただいたというわけです。
 あいにく、法要が続いており、住職の手が空かなかったもので、私副住職が失礼ながらもご案内させていただきました。 掃除や整備の行き届いてない状態で、本当に申し訳なく思っております。
 
 午後からは、私も東源寺さんでのご法話を聞かせていただきました。「我(が)」というものについて中心にお話しされました。
 簡単にお話ししますと、十悪五逆という罪はすべて「我」からおこるものである、「我」の字を2つに分けると、「手(て)」と「戈(ほこ、 人を傷つける道具)」という字になり、「我」を張るということは戈を手に持ち人を傷つけることである。年をとればとるほど「我」は強くなり、 自分中心の自分本位の考えしか出来なくなってしまう。こういったことを話されました。

 今一度自分を見直すことが大切であり、一生懸命勉強して色々なことを学んでも、自分にはまだ知らないことがたくさんある、 ということを自覚すべきであり、自分が正しいと思っていたことは実は他人にとっては間違いではないのか、 など客観的に自分を知ることが大切なことなのだと改めて考えさせられました。宗祖法然上人のお言葉でこういったものがあります。

 「われは最愚の法然なり」

比叡山一の勉学家であった法然上人でさえ、「まだまだ知らないことや出来ないことがたくさんある、愚かな人間です」 と自分のことをおっしゃっているのです。


 谷崎先生のご法話をお聞きしたのは2回目ですが、今回も聞いて良かったと感じました。偉そうなことを言いますが、 題材としては特別難しいことや専門的なことではなく、誰にでもなじみのあることで、それでいて新鮮でハッとさせられる内容なのです。 もちろん大切な事柄もお話しされているのです。
 私としては、こういったお話しをすることができたらと思っています。谷崎先生のお話に比べれば、私の法事のときの法話などは、 稚拙で要領を得ず、難しいことを言おうとしてしまい、結果的にお檀家さまには訳がわからないで終わってしまっているのではないのか、 などと心配してしまいます。

 私としましても、これからいっそう、より簡潔にわかりやすく簡単に、そして短めに(?)、 といろいろと考えてお話ししていきたいと思っております。「いい話だったぁ」と言われるよう、がんばっていきたいと思っておりますので、 どうか長い目でお見守りいただけると助かります。m(..)m

2005年07月21日

●「焼きとうもろこしは何処に・・・」

 昨日7月20日から22日までの3日間、熊谷は知る人ぞ知る、知らない人はまったく知らない「うちわ祭り」が開催されています。
 うちわ祭とは、京都八坂神社の祇園まつりが夏祭りとして全国に広まったものの一つであり、文書として残っているのは、 江戸時代の1750年からである。
1830年頃から、熊谷の祭は一層にぎやかになり、商店では買い物客に赤飯を振るまったため、「赤飯振舞」として熊谷の名物になりました。 現在でも、この時期に各家庭で赤飯を炊くのはこの名残である。
 うちわ祭りという名前が付いたのはこの後のことで、とある料亭が、 手間の掛かる赤飯の代わりに江戸から買い入れた渋うちわを客に振る舞ったところ大変評判になり、 どの商店でも赤飯の代わりにうちわを出すようになった。当時はうちわが生活必需品でありわずかな買い物にもうちわを振る舞ったことから、 その評判は大変だったようである。
 現在では、時代の流れにつれ、疫病退散の祭からいつしか、五穀豊穣・商売繁盛の祭と変わっている。

 詳しくは、「熊谷うちわ祭りのページ」 をご覧下さい。
 

 と、説明はともかくとして、私が言いたいのは、焼きとうもろこしの出店が無いことである。もしかしたら、どこかにあるのかも知れないが、 私が探した限りでは見あたらない。思えば、一昨年、焼きとうもろこしが食べたくて、出店を探した。四方隈無く探して、やっと1軒見つけた。 1本500円。妻の分とともに2本買った。これがとてもうまいのである。どうして、祭りになると焼きとうもろこしが食べたくなるのだろう?
 
 でも、今年は見あたらない。どーやっても見あたらない。祭りの実行委員会や警察官に尋ねるのもいかがなものかと思いあきらめて、 肉屋でコロッケを買って帰った。

 寂しさの残る祭りであった・・・・・。

2005年06月15日

●「寺庭婦人若葉研修会7 最終回 」

若葉研修会3日目には、班別法座と諸堂参拝が行われました。
 
 班別法座では、班ごとに日頃の活動の様子や悩み疑問を話し合いました。個人的には、活動の最初どのようにどのように人を集めたのか、 自然消滅を覚悟したのか、など活動の始め方を伺いたかったので、それについて寺庭の先輩方に質問しました。いろいろな意見を伺うことができ、 今後の活動に役立てていきたいと思います。
 また、諸堂参拝では、(説明するまでもないことですが)知恩院の諸堂を知恩院のお坊様の案内で参拝しました。知恩院七不思議を見たり、 江戸時代の襖絵、うぐいす張りの廊下を歩いたり、皆さんとあーだこーだガヤガヤワイワイと楽しいものでした。

 研修中、移動をするときは必ず行道(1列に並んで合掌、 お念仏を称えながら歩く)となります。食事に行くときは同じ建物なのでまだいいのですが、 お勤めや帰敬式などのために知恩院に向かうときには坂を登るので、とても大変でした。普段なら何ともない坂なのですが、 声を出しながらなので息が続かないのです。ただ、先導してくださったお坊様も息が切れていたので、(私はいつもお坊様のすぐ後ろを歩いていましたので、その様を見てしまいました・・・フッ) 少し安心しました。

 食事をいただくときにも作法が決まっていて、食前には食前のことば、次いで同唱十念、食後には食後のことば、 同唱十念を全員で称えます。私たちの生命は全て他の生命によって生かされています。それを忘れることのないよう、 そして感謝と慈悲をもって大切にいただく為にこのようにお称えするのです。
 日頃の食卓で多くのひとがこの言葉を称えるだけでも、 現在稀薄になりつつあるといわれている生命に対する意識が多少なりとも変わるのではないかと感じました。

 

 その他にも、朝のお勤めのときに痺れて痛い足で一所懸命正座をし続けていた若いカップルのことなど、 お伝えしたいことがたくさんあるのですが、そろそろご報告を終わりにしたいと思います。

 この研修会のために様々なご尽力をいただいた各所の方々に感謝申し上げます。また、 この同じ時にこの同じ場所に集まったことも阿弥陀さまとの御縁があるからこそと思っています。短い間でしたが、 仲良くしていただいた他の参加者の皆さまにも感謝申し上げたいと思います。

文/副住職寺庭

 

 

2005年06月14日

●「寺庭婦人若葉研修会6 帰敬式 」

 2日目の夕方、全ての講義を終え、参加者全員で帰敬式を迎えました。
 帰敬式とは、阿弥陀さまの前で弟子となったことを報告し、 この先その教えを守りながら仏弟子としてそれに恥じない生活を送ることを誓う儀式のことです。
 3月末の京都、帰敬式が始まる頃はずいぶん日も落ち、薄暗い中、宿舎を出発しました。1列に並び、 お念仏を称えながら知恩院につづく坂を登ります。(大きな声を出しながらですので、これが結構きついのです。) 知恩院本堂隣の阿弥陀堂が帰敬式の会場です。

 阿弥陀堂前に並び、ひとりひとり名前を呼ばれてお堂に向かいます。中にはいるまでにお香で身を浄め、 香象を跨ぎます。(後でわかったことですが、わたしはどうやら跨ぐときの足を左右間違えたらしいのです・・・。大丈夫でしょうか・・・。) 入口でロウソクを受け取って、中へ。阿弥陀堂の中は真っ暗で、阿弥陀さまの前にあるロウソクだけが唯一の灯りです。 お坊様たちに導かれて所定の座につき、正面を仰ぐと、1本のロウソクの灯りのなかに浮かぶ阿弥陀さまが、 こちらに優しく微笑みかけていらっしゃいました。
 全員が入堂し、知恩院執事長佐藤諦学上人のご発声で帰敬式が始まりました。 始まって間もなく誓願の文(せいがんのもん)の宣誓がありました。私はジャンケンで負けて第1班の班長になっていて、 なおかつ例年第1班の班長が誓願の文を読み上げることになっているということで、貴重な体験をさせていただきました。 意外と緊張せずに落ち着いて読むことができました。文の最後には、 私たちの世話をしてくださった冨永上人様が美しい字でお寺の名前と私の名前を書いてくださっており、とてもありがたく思いました。
 
 その後、仏前のロウソクから分けていただいた灯りを各々のロウソクに移す献灯が行われました。40本ものロウソクに灯りがともされ、 阿弥陀さまの前の大きなロウソクの周りに置かれたさまはとても美しいものでした。習ったばかりの聖歌を全員で歌い、ありがたいお話を拝聴し、 お念仏を称え、無事に帰敬式を終えることができました。
 
 阿弥陀堂を出ますと、とっぷりと日も暮れていました。足下もよく見えない中、来たときと同じように参加者全員1列に並び、 お念仏を称えながら坂を下り、宿舎へ戻りました。宿舎に戻ると、今まで真っ暗なところにいましたので、建物の灯りがとてもまぶしく、 緊張もとけて少し疲れも感じましたが、何かホッとしました。皆さんもどことなくホッとしたご様子でした。

 
続く・・・   文/副住職寺庭

2005年06月03日

●「寺庭婦人若葉研修会5 講義    のはずですが・・・」

 この連載の文筆責任者である副住職寺庭が、なんと、原稿を落としてしまいました。

楽しみにされていた皆さまには、わたくし副住職が替わりに謝罪申し上げます。

申し訳ございません。

 

 我が寺庭は、6月16、17日の関東ブロック浄土宗寺庭婦人会総会までには、あと2回の原稿を書く予定となっています。 わたしが思うに、どーでしょうか?出来るでしょうか?なんとも言えませんが、次回(第5回)、そして最終回(第6回) を気長にお待ちいただけたらと思います。

2005年05月29日

●「幸せの数」

 ここのところ、行事の報告や浄青の仕事など自分に関することが多かったので、今回は本来の法話もどきなお話をしてみたいと思います。
 
 私は、何かあると自分に言い聞かせたり、人に話して聞かせたりする事柄がありました。ありましたというのは、 実は最近忙しさからかこんな考えを忘れてしまっていて、ある方の講談を聞いて思い出したからです。スーパーやコンビニなどのお店のレジ前で、 また何かのために行列して待っているとき、横は入りしてくるオバタリアン(失礼しました)に出会うことがあると思います。

 こんなとき私は、こう思うのです。人間の一生はプラスマイナス0である。今、いい思いをすれば、その分あとでいやな思いをする。今、 いやな思いをしても我慢すれば、あとでその分きっと良いことがある、と。その場で文句のひとつも言えない自分に対するフォローなのか、 いいやわざわざ波風立てることもないよという広い心の持ちようなのか、意見は分かれると思いますが、このように考えてきました。そして、 この考えは、ある程度の共感も得られてきました。

 が、この考えをさらにすすめたといいますか、さらに悟りの境地へ達した(大袈裟な言い方ですが)考えを聞いたのです。 前に述べましたある方、実は毒蝮三太夫氏です。40歳くらいの方でしたら、科学特捜隊のアラシ隊員と申し上げたほうがおわかりでしょう。 5月9日に、館林市常光寺(御住職は私の同級生)にて館林市積善会主催の花まつりが催され、その目玉として毒蝮氏に講談をお願いしたのです。 私は、その手伝いとしてお邪魔していました。軽やかなトークと持ち前の毒舌で参加者の皆さんを笑わせたりと、 とても楽しくお話を聞かせていただきました。話の最後のところで、毒蝮氏の母親の話が出たのですが、 子供時代の毒蝮氏に母親がよくこう言っていたそうです。「お前ばかり良い思いをするんじゃないよ。幸せの数は決まっていて、 お前がひとつ幸せを手にすると、誰かがひとつ不幸になる。お前がひとつ我慢をすれば、他の誰かがひとつ幸せになる。」と。
 よくある話で、当たり前の話ですが、妙に懐かしく、目から鱗が落ちたかのようなショックでした。 こんな簡単なことを忘れてしまっていたんです。浄土宗教師として、仏教徒として、いや人間としての生き方を改めて考え直しました。 自分勝手になったり、失敗を人のせいにしたり、ともすれば他人を追い落としてまで良い思いをしようなどと、 ついついそんな方向に走ってしまいがちなこのごろに、一石を投じるほどのものと感じたのです。
 
 自分がされたら嫌なことは、他人に対しては絶対にしてはいけない。これ、私の信条です。でも、忘れてしまうこともあります。 気をつけなければなりません。皆さまも、他人を思いやるこころ、情けはひとのためならずの精神を持って、 日々過ごされて行かれるようお願いいたします。当然ですが、私も努力して行きたいと思っております。

2005年05月25日

●「寺庭婦人若葉研修会4 講義 」

 研修会で組まれていた講義、最後は小坂井淳弘先生によります「仏教聖歌」でした。
 
 鈴と鉦を使って歌う御詠歌は知っていたのですが、今回教えていただいた「仏教聖歌」は初めてでした。 また、参加者の皆さんもほとんどが初めてであったようで、曲は「月かげ」、「われらのよるべ」、「みほとけは」、「浄き門出」、 「念仏」、そして「ああこのよろこび」の6曲を学びました。
 御詠歌でも歌う曲でなじみもあった「月かげ」以外、他の5曲は全くの初めてでしたが、唱歌に近い曲調で親しみやすく、機会があれば、 是非お檀家の皆さまにもご紹介したい!と強く思いました。もし、ご興味がございましたら(私の下手な歌とピアノでよろしければ) ご紹介いたします。
 
 教えてくださった先生は、とても通る良いお声で、ずっと聞いていたいくらいでした。 ご自坊の法事を終えてすぐいらしたので、昼食を食べる時間がなかったということに加えて、 午後3時頃から5時近くまでほとんどずっと大きな通るお声で歌い続けられていたので、 最後のほうはもうフラフラになっていらっしゃいました。講義の後、復活するまで時間のかかったことと思います。
 3人の先生方いずれも限られた時間の中で、本当に一生懸命教えていただき、ありがとうございました。 ときにはご自分の身近な出来事を例えにしたり、とんちのきいた冗談を言って笑わせたりと、足の痛みを除けばとても楽しい時間でした。
 
 この「仏教聖歌」の講義で今回の研修会の主な日程は終わりました。それを受けて、午後6時より知恩院阿弥陀堂にて「帰敬式」 が執り行われたのです。


続く・・・   文/副住職寺庭

2005年05月23日

●「寺庭婦人若葉研修会3 講義 」

 皆さま、こんにちわ。副住職の寺庭でございます。先月からご報告させていただいております「寺庭婦人若葉研修会」、 今回もこの続きをさせていただきたいと思います。
 
 
 今回は西山精司先生によります「浄土宗のおつとめ」についてご報告いたします。

 「浄土宗のおつとめ」は日常勤行の方法、仏花・供物・御膳の供え方、そして僧侶の法衣についての講義でした。
 これらのことは、僧侶の妻の日常として、副住職から学びながらこなしてきたことでしたが、新しい発見も多く、大変勉強になりました。特に、 日常勤行は最近はひとりで行うこともありましたので、我流になっている部分もあり、反省しきりでした。
 
 ところで、日常勤行とは文字通り日常的に行われる法要のことで、朝や夕方の勤行のことです。み仏をお迎え(勧進) するための導入部としての序分、お経を読み、み仏を供養し、念仏の行を励む主部としての正宗分(しょうじゅうぶ)、 そしてみ仏を本国にお送り(奉送)する流通分(るつうぶん)の三段構成がとられており、これは日常勤行だけでなく、 皆さま各家ごとに行われる年忌法要なども同様の儀礼構成となっています。副住職も度々法要の際にこれらについての説明をしておりますので、 ご興味を持たれた方はお気軽にお尋ね下さい。
 
 仏花・供物・御膳の供え方、僧侶の法衣についての講義では、お寺の儀式だけではなく、 日常生活でも活用できそうな、主婦にはうれしい知りたい事柄をたくさん教えていただきました。 他の参加者の皆さんも興味深そうに聞き入っておられました。講義に行くのが少し遅くなり、一番前の席になってしまった(しまった? いえいえ、最初から一番前に座るつもりでした。)のですが、法衣の講義のときなどは、 近くで見るために皆さん前に集まって来ましたので、結果的に前で良かったのかな†、などと思ったりもしました。

  続く・・・   文/副住職寺庭

2005年05月03日

●「列車事故に思う」

 みなさまもご存じのJR西日本列車脱線事故ですが、死者100人を超す大惨事となりました。 テレビなどでは連日に渡って原因等を論じています。

 その内容を見てみますと、一番多いのが「私鉄との集客競争の弊害」、「社内管理教育体制の問題」などが挙げられています。でも、 それだけがこの事故の原因でしょうか?最新型のATS装置を取り付けていなかったJR西日本は当然問題ですし、 自分自身の勤務評価の保身の為に安全を犠牲にしてまでスピードを上げた運転士にも問題があるのはもっともです。しかし、 少しの遅れに対してすぐに文句を言うわれわれ乗客にも落ち度は無かったのでしょうか?事故直前の駅でのオーバーランについては、 乗客が説明がないと車掌に詰め寄ったと報じられています。わずか1分半の遅れに対して、そこまで激高するのは私には理解しがたいことです。 お金を払ってそのサービスの提供を受ける、そういう意味では文句の一つも言う権利はあるでしょう。しかし、 その文句は安全性を犠牲にしても得てほしいというものでは無いはずです。ただ、結果として、 そういうふうにつながっていったとも考えられないでしょうか?


 ちなみに対面の特急電車は運転士が信号を見て急停止したため、その周囲1キロ圏内の電車に自動通達され、 2次事故は避けられたとのことです。運行集中センターからの連絡前にこの処置をした運転士は大いにほめられるべきです。もっとも、 それが当たり前ではありますが。事故のためこの列車を線路上で降りなければならない乗客たちの苦情も聞きました。文句もわかりますが、 けがをしたり、ましてや死んでしまったりするよりはいいでしょう。
 
 
 こういったことは私たちだれのこころのなかにでも潜んでいます。亡くなった方々はそうではないにしても、今回の事故は、 こういった心の歪みが起こしたものとも考えられると思います。気をつけなければ、と今あらためて感じています。
 犠牲者のみなさまにはお悔やみ申し上げます。阿弥陀さまの光とともに極楽浄土へ往生されることを願っております。


南無阿弥陀仏  合掌

2005年04月24日

●「総会デビュー」

 本日24日、夕方5時半よりさいたま市ソニックシティの一室にて、埼玉教区浄土宗青年会総会が執り行われ、それに出席してきました。

 
 
 当然ながら、初めての出席です。出ようかと考えていたのですが、出欠はがきを返送し忘れて、まあ仕方ないかと考えていたところ、前日に、 これまた浄青会長さんから直々にお電話いただき、出席する運びとなりました。うーん、何も言われなければ何もしないが、 請われると引き受けてしまうという私の性格をよく理解していらっしゃる。なぜ、ばれたのか?また、D龍寺のM島上人からであろうか? そういう彼は欠席・・・。
 で、今年度から編集委員(HP担当)になったのであるから、出席するのは当然といえば当然のこと。むしろ、 出欠はがきを返送しない当方の方に非があるのは明らかで、失礼なことしてしまって申し訳ない限りです。

 
 HPの方は、5月の編集委員会の前にH台寺I崎上人とT源寺O野見上人との3人で事前話し合いをする予定です。 ぶっつけでこれはこうやって、あれはあーやって、などと適当にガンガン決めてしまう私と違い、ご両名とも真面目なかたですので、 HPに関しては問題なくことが運ぶことでしょう、いや、彼らが運んでくれることでしょう。そう、私はご意見番。手は出さず、 口は出すご意見番。あの人、もういらないなどと言われぬよう気をつけます。
 
 
 総会に続いて行われた懇親会では、HPに関して多くの方々の多くのご意見・ご要望を伺いました。今回、 ご都合がつかず参加されなかった会員の皆さんからも多くご意見を承りたいと考えております。例えば、 HPで寺院紹介をするから取材させて下さいなどと押しかけることもあるかもしれません。編集委員に急襲されて困るという方は、どーぞご意見・ ご要望、また自坊の紹介文などをお寄せ下さい。そうしないと、私がいきなり行っちゃいますよぉ†。

2005年04月19日

●「野の仏」

この頃、さっぱり釣りは駄目ですと、こうせつ君が言う
昔はこんな大物をと、両手を拡げて
野の仏、笑ったような笑わぬような
 
 
ここには野鳥がいっぱいいるんですよと、こうせつ君が言う
ほらほら浮きにあたりがきてるよと、教えてあげたいけど
野の仏、笑ったような笑わぬような
 
 
ぽっかり浮かんだ根無し人生ですよと、こうせつ君が言う
彼はずっと喋ってるんだね、ほら魚が逃げちゃうよ
野の仏、笑ったような笑わぬような
 
 
フナの病気が進んでいるんですよと、こうせつ君が言う
昔のフナは健康でしたねと、寂しそうな顔をして
野の仏、笑ったような笑わぬような
 
 
僕は野の仏になるんですよと、こうせつ君が言う
だけどこんなイイ男ではと、あごなどを撫でながら
野の仏、今度は確かに笑いました
野の仏、今度は確かに笑いました


  この歌は、 皆さんご存じと思いますがフォーク界の重鎮吉田拓郎が1973年に発表したアルバム「LIVE’73」に収められている1曲 「野の仏」です。これまた皆さんご存じと思われますフォークグループかぐや姫の一人南こせつのことです。彼らは、 当時群馬県嬬恋村などで夜通し合同ライブを行うなど親交の深い間柄でした。それ故、このような歌ができたのでしょう。

 反戦的な歌を歌うなどして問題視されたこともある吉田拓郎ですが、「結婚しようよ」、「夏休み」 など私たちの記憶に残る数多くの歌を世に送り出した彼の根本の考えは、このようなのびのびと、のほほんとしたものであるような気がします。


 今回、昔のレコードなどを整理していた際に吉田拓郎の多くのアルバムがでてきたため、昔はよく何回も聴いていたんだと懐かしく感じました。 機会がございましたら、皆さんも是非お聴きになってみて下さい。
 

2005年04月18日

●「寺庭婦人若葉研修会2 講義 」

 少し間が開いてしまいましたが、先日ご報告させていただいた寺庭婦人若葉研修会の続きとして、 講義内容を中心にご報告させていただきます。

 講義は、斉藤舜健先生による「浄土宗の教え」、西山精司先生による「浄土宗のおつとめ」、 そして小坂井淳弘先生による「仏教聖歌」の3つでした。

 「浄土宗の教え」では、仏教が何を目指す宗教なのかをお釈迦さまが悟りを啓かれるに至ったその過程を学ぶことで理解し、 また仏教における浄土宗の位置づけと開祖法然上人の生涯、教えを理解することを目指した講義でした。 
 
 仏教は、仏によって説かれた教え(仏説)によって、同じ仏になること(成仏)ができるという点で創造主を持つ宗教とは異なること、 不可避の苦しみ(四苦八苦、一切皆苦)がある現状や、諸行無常・ 諸法無我という事実から逃れて涅槃寂静という目的に達するにはどうすればよいのかを説くのが仏説であり、 その方法論ともいえる仏説の解釈が各仏教、各宗で異なるということ、そして、浄土宗は浄土三部経を所依としていて、その教えは高祖善導大師 (法然上人が”偏依善導一師”と仰がれた)、宗祖法然上人のお経の解釈に基づいて(決して個人崇拝ではない)、 念仏をお唱えすることによって往生できると解釈なさったことや、そこに辿り着くまでの法然上人の生涯など、 当然のことながら書ききることは出来ませんが、いろいろなことを学びました。(私の理解が間違っていないことを願うばかりです。)  
 
 
  日頃、主人から教わりながら少しずつ勉強してはいたのですが、このように集中して講義を受けたのは初めてでしたので、 何となくではありますが(情けないのですが)、仏教や浄土宗について大枠で理解できたように思います。とても奥の深いものなので、 「理解できた!!」と言えるようになる自信はあまり無いのですが、今後少しでもそれに近づけるよう努力したいと思います。


* 文章 副住職副住職寺庭
 
 

2005年04月17日

●「和解」

 一連の騒動、某IT企業と某テレビ局、どうやら和解へと交渉が進んでいるようです。 お寺の人間として損得勘定をするのいただけないことですが、ここは俗っぽく、いったい得をしたのはどちらなのでしょう。現時点でみると、 嫌いな人ランキングの上位に入ってしまった社長のいる某IT企業のほうが、イメージダウンという点で損したのでしょうか。 それとも報道の公共性を語っておきながらもその現実はテレビというメディアが創造性や文化的な価値を失いつつあることを曝かれてしまった某テレビ局がわれわれ視聴者を白けさせてしまった点で損でしょうか。 、

 いずれにせよ、向上のためにはドライな立場をとる若い世代と昔ながらの因習にこだわる(それが悪いとは思いませんが) 年配の世代の物の考え方が違うということがわかり、その意味に置いてはいろいろと考えさせられることの多い出来事であったと思います。

2005年04月05日

●「寺庭です!! お勉強に行って来ました。 寺庭婦人若葉研修会 」

 お檀家の皆さま、いつも主人がお世話になっております。副住職の家内でございます。

 先日、3月28日から30日までの3日間、京都知恩院にて「浄土宗寺庭婦人若葉研修会」が開かれました。 ご縁あって参加しましたので、そのご報告をさせていただきます。
 寺庭(じてい)婦人とは僧侶の妻のことで、 なぜそう呼ぶのかというと・・・というのは次回以降に譲るとしまして(調べておきます(^_^;))、 基本的に新婚ホヤホヤの寺庭婦人(若葉)を対象とした研修会です。「若葉」 というには少し葉脈が浮き上がりつつあるなと自覚しつつある今日この頃ですが、各教区(各県ごと)2名の募集に運良く、 いえいえ阿弥陀さまのおかげで、先着順で間に合い、参加することとなりました。 
 
 
 全国から40名を越える”若葉”が集まり、2泊3日の日程で浄土宗の教えや法式・勤行の作法、法要音楽等の講義を受け、 朝のお勤めと班ごとの話し合い(班別法座)が行われました。
 限られた時間の中での盛り沢山なスケジュールのため、2日目などは10時間近く断続的に正座をするはめになり、 日頃正座には慣れている皆さんでしたが、あちらこちらで足を伸ばすときの悲鳴ともため息ともつかない「うぅぅぅぅー」 という声が聞かれました。特に私にとっては、最初の班別オリエンテーションでジャンケンに負けて(13分の1の確率)、班長を仰せつけられ、 その班が第1班であったため、行道(*1)の先頭になり、帰敬式(*2)では「請願の文」を読み上げることとなり、「まずい!」 と思いましたが、そういったことで声を掛けていただく機会も多く(皆さん優しい心使いの方々なのです!)、思い出深いものとなりました。
 詳しいことはまた後日報告させていただきたいと思います。
 
 
 戻って参りますと、出かけるときは咲いていなかった玄関脇のレンギョウの花が満開となっていました。たった3日間の”修行”でしたが、 確実に重ねた日々だったのだなと思います。
 参加者の皆さん、お世話下さった知恩院や教学局の皆さまに感謝いたします。また、ご縁があること願っております。

 
*足のシビレを我慢して講義に集中する皆さん 
  
*1 行道 ・・・   朝のお勤めに行くときや食事に行くときなど移動の際、一列に並んで合掌をし、 お念仏を称えながら歩くこと。
*2 帰敬式・・・  「仏弟子になりました」というセレモニー。
 
 

* 文章 副住職副住職寺庭

 


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2005年03月30日

●「寺庭婦人若葉研修会」

 先日、3月27、28、29日の3日間にわたり、浄土宗総本山京都知恩院にて浄土宗寺庭婦人若葉研修会が開催され、私(副住職) の妻がこれに参加させていただきました。結婚してから5年も過ぎていますので、今さら若葉というでもないのですが、原点に立ち返り、 改めて勉強するという最近の私に感化(?)されたのか、ともかく無事に3日間の研修を終えたようです。
 
 
 ジャンケンで負けたため班長になるわ、それが第1班であったため、帰敬式にて全員の代表として誓詞を読み上げるわ、 他の寺庭婦人の皆さんを差し置いて、畏れ多いことをしてきたようです。研修内容や感想等は後日、彼女が掲載するということですので、 ご一緒された皆さまは楽しみに(?)お待ち下さい。
 

2005年03月26日

●「編集委員」

 先日、埼玉教区浄土宗青年会(以下、埼浄青)の会長さんからお電話をいただきました。内容は、 埼浄青の編集委員になってほしいとのことでした。聞けば、D龍寺のM上人やT源寺のO上人が推薦されたとか・・・。やられたっ!!  
 
 冗談はさておき、断る理由もありませんし、役に立てるかどうかもわかりませんが、幽霊委員になってしまうかもしれませんが (いざというときのための布石です)、皆さん見知っている顔ぶれですし、今までな†んもせずにオンブにダッコであったわけですし、 ここらで役に立っておかなければとも考えますし、思えば、関ブロ大会も御巡教も人数あわせのような役立たなさでしたし、・・・(以下、 皆さんが考えられる限りのぼやきを連発)。
 
 考えてみると、今年の別時念仏会のときに、T源寺のO上人との間で、埼浄青のホームページの話が出て、「各自の法話などを掲示し、 皆でそれについて、あーでもなおこーでもないと意見などを交えて、誤りやはっきりしないところを訂正、言い返しなどし、 また更なる説明を加えるなどして、法話の手引き集など出来れば便利だ。」などとエラソーに口走ったのが始まりであったのかも。  
 
 いずれにせよ、請われて引き受けたのですから、出来る限りがんばらせていただきます。 埼浄青のホームページのほうも手伝って欲しいとのことでした。どーせ、私に出来ることはそれくらいなもんですから。 自作の寺務管理ソフトの開発もストップしたままですし、今後のパソコンの有効活用を考えていたとこですし。がんばります。


 皆さん、あたたかい目で見守って下さい。

2005年03月14日

●「戊辰戦争時代絵巻」

 昨日(3月13日)、法事がひと段落したので、お寺を抜け出して熊谷荒川河川敷にて行われた「戊辰戦争時代絵巻」を見に行きました。 風の強い日でしたが、好天に恵まれ、明治新政府軍と旧幕府軍歩兵部隊との戦いが再現されたのです。 
 
 新政府軍は薩摩・長州の藩軍が主体となっています。私の妻が鹿児島出身ということもあり、 どうしても薩摩軍をひいきしてしまいます。が、参加された人数がちょっと少なかったですねぇ。映画などで使用した大砲や、 自作の軍服など見るべきものは多かったのですが、観客も少なかったです。やはり、 熊谷の人間は文化的なことに関心が薄いのでしょうか?  
 
 それにしても驚いたことは、慶応末年から明治元年の公的な記録が無いということです。記録書は白紙になっていたそうです。それ故、 旧幕府軍と新政府軍の戦いは一切無かったという事になってしまっていたらしいのです。いったいどうしたことでしょうか。 旧幕府の役人は逃げてしまったのでしょうか。それで記録が一切無いのでしょうか。
 
 実際には旧家の文書によると、行田忍城と新政府軍との間で会談がもたれ、 忍城は無条件で恭順の意を示し、戦を回避したようです。憐れなのは、忍城城下に詰めていた旧幕府の歩兵部隊です。打って変わって、 彼らは忍領内で唯一の朝敵となってしまったわけです。そこを新政府軍が急襲したのが梁田の戦いと伝えられています。 彼らのうち3名は命を落とし、報恩寺(当時は現在の熊谷郵便本局に位置していた)に葬られたと言われています。 
 
 戊辰戦争はこの後、いっきに北上し、宇都宮城の戦い、会津戦争へと移っていきます。江戸城無血開城、 千葉の戦いから宇都宮城の戦いまでのあいだにこんな出来事があったというわけです。
 いやあ、歴史ってホントにおもしろいですねぇ。それにしても、記録しておくことの大切さを本当に感じた1日でした。

2005年01月28日

●「御詠歌始める」

 1月26日、27日の両日、浄土宗大本山増上寺にて、浄土宗吉水流御詠歌の講習および検定試験を受講して参りました。
 
 
 初日の開校式の後、夕方まで、そして2日目は検定試験でした。私は、御詠歌は始めて間もないため、入門編として5級を受講、受験しました。 内容は、浄土宗の宗歌でもある「月影」の御詠歌と「光明摂取和讃」の2曲で、鈴の鳴らし方や鉦の打ち方よりもその詩の内容を理解し、 心を込めて歌うということに主眼が置かれました。 鈴や鉦が完璧でも歌が淡々としていては味気ないものだというのは皆さまもお分かりと思いますが、これがなかなか難しいもので、 余計なところでチリンチリンと鳴ってしまったり、カチャカチャと雑音を立ててしまうものです。要はたくさん練習をすること(特に歌のほう) だと思いますし、そのようにも教えられました。
 
 何せ、練習し始めたのが前日ですし、致し方ないことでしょう。 一緒に受講された皆さまにはご迷惑をおかけしてしまい申し訳なく思っています。ただ、実際にやってみて、やり甲斐のあるといいますか、 楽しいものには間違いないと感じました。
 
 
 
 この先も続けて行こうと思っております。いつの日か檀信徒のみなさまにお教えすることができたら、一緒に御詠歌・ 御和讃を唱えることができたらと考えております。
 


●吉水流詠唱とは
 詠唱をすることによって、お念佛が心からお唱えやすくなる事を目的としてつくられたものです。つまり、阿弥陀様にすべてお任せして、 阿弥陀様の本願を深く信じて、阿弥陀様の西方極楽浄土に往生するための手段となるお念佛をお唱えできる私に導いていただくための詠唱です。  
 
御詠歌・・・ 五七五七七の三十一文字の和歌(大半が法然上人の御作)に曲をつけたもの
和讃・・・ 浄土宗の年中行事 例えば御忌・お十夜・お彼岸等の行事の意味をあきらかにし、その法要に参加するためのもの。さらには、 昔から伝えられ、現在も唱えられている和讃 例えば来迎和讃・いろは和讃等。近年は、一般公募もしております。
舞・・・ 御詠歌・和讃に、日本舞・洋舞で振り付けをしたもの。
 
 

2004年10月28日

●「熊谷寺開山報恩会(特別開門)を終えて」

 このホームページをご覧いただいている皆さまはご存じの通り、当寺院は10月21日、25日、 27日の3日間に渡りまして平日特別開門を実施しました。
 
 大方は成功といってよろしいのではと思いますが、ひとつ問題がありました。
 2日目の25日午後2時半ころ、多くの方々が喜んで帰られた一方で、「宝物も見せないなんて、うわっつらだけだ。 自由に見られない。」などと大声で批判して帰られる方をお一人見かけたのです。
 
 
 しかし、私(副住職)としましては致し方無いことと考えております。当寺院は観光収入(御札や御守り、参拝料の収入が多くを占める) を目的としている観光寺院ではありません。お檀家のみなさまの為の、 またお檀家のみなさまのよって支えられている、先祖の報恩に感謝し、手を合わせる場所なのです。 もちろん参拝料もいただいておりません。ほとんどの方々がそれなりにご満足されたようですが、 もっともご不満であったとしても境内でそういったことをおっしゃる方はそう多くはないと思いますが、 どうしてもそういった方はいらっしゃるようです。案内ボランティアの方には不快な思いをさせてしまい本当に気の毒に思います。
 もっとも、このような方は、たとえ宝物から何まですべてお見せしても何かしら言って行かれるのでしょうから、仕方の無いことと思います。 鼻から報恩に感謝する気持ちが無いのですから。
 
 
 こういったことがありますと、平日開門・解放なんてとんでもないという話になってしまいます。 お檀家のみなさまのほとんどは一般開放には否定的なのが実情ですから。寺務に従事する者として相応しくない言葉ですが、 「通常は寺務に当てる時間を割いて境内への入山を請けたにも関わらず、どうしてそんなこと言われなきゃならないのだろう」 といった気持ちも出てきてしまいました。

 とは言ってみたものの、恥ずかしいですねぇ。まだまだ修行不足です。ご批判・ ご不満は改善点として次にこういった機会がありましたら、活かしていきたいと思っております。これ以外につきましては、 ほぼ問題なく終了したと考えております。
 
 
 文化連合の高野会長さまをはじめ、熊谷寺案内ボランティアの皆さま方には、 事前に5回にも渡りまして蓮生法師(熊谷直実)及び熊谷寺についての講義を受けていただき、なおかつ3日間とも参詣者のご案内していただき、 誠にありがとうございました。

2004年08月21日

●「早朝テニス」

 私事ですが、昨日より早朝テニスをはじめました。朝5時30分から2時間、熊谷市テニス協会主催の早朝テニス講座です。 5時半から始めるためには、朝4時起きです。こんなに早く起きるのは、修行で増上寺に籠もったとき以来かも知れません。 通常は朝6時には起きているのですが、さすがに朝4時となると、寝るのは9時過ぎです。中学、大学とテニスはしておりましたが、 就職してからはほとんどしなくなり、副住職となってからはラケットすら握っていないこの10年間。心配は、 ちゃんと打ち返せるのかということはもとより、身体がついて行けるのかということでした。7年ほど前、 副住職になる前に勤めていたところの助っ人として野球大会に参加したときは、ピッチャーをしたのですが、 翌日から3日間ほどほとんど動けないほどの全身筋肉痛となり、トイレで屈むのも壁につかまりながらというほどでした。ちなみに、 高校時代は軟式野球をしていました。

 
 体力の低下を著しく感じていたため、今年4月頃から毎夜家でストレッチ、5月からは毎夜ウォーキング、6月からは体力増強を図り、 運動公園で週1回のキャッチボール、と妻を引きずり込みながらしてきたわけです。そして、8月のお盆期間を経て、 今回の早朝テニスとなったわけです。クラスは違いますが、当然、妻も一緒です。

 
 幸いに、いまのところ多少の筋肉痛はありますが、あまり動いちゃいかんと自分に言い聞かせている効果(?)もあってか、 無難に過ごしています。合計で10日間、怪我無く、楽しくやっていけたらと思っています。ちなみに、妻は味をしめたのか、 9月からのバトミントン講座にも参加するようです。


 
 檀信徒の皆さまも、怪我などには十分注意しながら、スポーツなどの体力維持、健康促進に努められることをお勧めします。
 

2004年07月29日

●「経営と夢」

 今、スポーツ新聞ではプロ野球の話題がよく見受けられます。と言っても、試合云々のことではなく、合併や1リーグ化の話です。

 
 経営者の考えからすると、合併や1リーグ化はやむを得ないことと思われます。球団そのものが消滅してしまうよりはマシですし、 企業の赤字が解消されればそれで経営者としては二重丸なのです。が、ファンや選手の立場から見ると状況は正反対です。球団数が減少すれば、 選手の働き口は少なくなるのは避けられませんし、ファンとしても今まで敵チームだった球団を応援するようになることは複雑な気持ちです。 どうしたものでしょうか?

 
 こういった話と相まって、30億円という加盟料が必要となる規約が間違いだなどという意見もでてきました。この規約は、 そもそも昭和50年前後に西鉄ライオンズ→太平洋クラブライオンズ→クラウンライターライオンズ→西武ライオンズとめまぐるしく球団経営が変わっていったのを避けるため、 つまりすぐに球団を手放さないようにとの足枷の意味で作られたものだそうです。経営者がめまぐるしく替わり、 ファンの野球離れを抑制するためとのことです。
 ですが、どうでしょう?プロ野球ファンは離れてしまったでしょうか?私は、 球団が変わり来年はどんなチームになるのだろうかと大いに興味を持って観ていたのを覚えています。 阪急ブレーブスがオリックスブルーウェイブに、南海ホークスがダイエーホークスに替わったときも、ワクワクしたのを覚えています。

 
 ここはひとつ、近鉄球団は例のIT企業に売却して、ライブドアネットワークズなんて新球団を作るのも大いに興味深いと思うわけです。 「僕の知らない人が入れるわけないじゃないか」などと子供の遊びグループの番長みたいなことは言わないで、入れてあげたらどうでしょうか? そして、そのようにやってみて駄目であったなら、そのときは、「僕の言ったとおりだろう」と言って、 自分の思う通りに進めてみたらよいのではないでしょうか。
 
 「たかが選手」という発言にも問題があります。経営者たちは、そのたかが選手によって儲けさせてもらっているのですから。 経営者としての考えは十分わかりますが、プロ野球は人々に夢を与えるスポーツであると今でも考えているのでしたら、 前述のようなチャレンジをしてみてもいいのではないでしょうか。

2004年07月12日

●「冷静な判断」

 参議院選挙が終わりました。皆さんは投票に行きましたか。私は終了直前に投票しました。
 
 翌日の新聞には、「自民敗北、民主大躍進」との見出しが大きく踊っていましたが、果たしてどうでしょうか? 自民党は改選前から1つ議席を減らしただけ、敗北とは言えないのではないでしょうか。また、「民主党大躍進、自民党の政策に国民はNO」 というのも言い過ぎで、前回の共産党の議席を食っただけであり、とくに大躍進というほどでもないと想うのです。数から見ればそうですので、 反対意見もあるでしょうが。
 

 昨秋の衆議院選、あるテレビ局系列の番組によく出演したり、 ある新聞系列のコラムによく掲載される京都の方の大学のある客員教授はこう言っていました。「小泉政権は崩れる、自民党は大敗する」と。で、 結果は民主党の躍進はあったものの、自民党は安定多数を得た。ここまでは予想がはずれたというよくある話ですが、この教授は後日の新聞で、 「自民党は死に体である」と語り、「自分のゼミ生の事前調査通り、自民党政権は終わった」とまで述べている始末。自分の予想は当たった、 といっているんです。なにをトチ狂ってしまったらこんな発言が出るのでしょうか。100人中100人が「この予想は外れだ」 と間違いなく言うような結果であるのに・・・。
 自分の評論家としての地位を守るため、冷静な判断ができないのでしょうか。
 
 この教授、懲りもせず今回も同じようなこと言うんでしょうね。その論法に無理があるのは至極当然のこと。あきれてしまいます。 最近の評論家やマスコミは、先ず批判ありきです。こういう態度も必要なことですが、限度というものがあります。よりセンセーショナルに伝え、 読者や視聴者を引きつけるため、その見出しと内容が大きく食い違うこともしばしば。たとえ間違っていたとしても、訂正や謝罪はなく、 「一石を投じたのだ」という。
 
 
 何か、間違った方向に進んでいきはしないか心配しているのは私だけでしょうか。

2004年07月10日

●「多くの一枚起請文」

 『一枚起請文』、浄土宗僧侶でこれを知らない者はいないはずです。また、浄土宗信徒、すなわちお檀家さんであれば、 これを知らない人はいないほど大切な一文です。もし、ご存じないとすれば、それはお檀家さんの責任ではなく、 われわれ寺の人間の日頃の怠惰さが原因なのです。このことは誠にもって恥ずかしいことであり、反省し、改めなければならないことです。

 
 さて、この「一枚起請文」は言うまでもなく、浄土宗開祖の法然上人が亡くなる2日前に弟子の源智上人に請われて記したものです。 有名であるが故に、この文体を真似して多くの『一枚起請文』が記されています。例えば、茶道で有名な千利休の『茶の湯一枚起請文』、 伝尊朝親王による『飲酒の一枚起請文』、さらに哲学者井上円了氏の『哲学の一枚起請文』、孤立大我による『渡世の一枚起請文』 などがあります。このことからも、いかにこの『一枚起請文』が名文として世間に流布され、敬われていたかを知ることができます。内容は、 参考までに以下に掲載しておきますのでご一読下さい。
 
 『茶の湯一枚起請文』においては、千利休は茶の湯とはただ茶を沸かして飲むことであると述べています。 あれこれ理屈をつけずにただただ茶を沸かして飲むことであると述べています。「飲酒の一枚起請文』では、 憂さ晴らしや何かのために酒を飲むのではなく、ただ飲みたいから飲むのであると述べています。

 茶道と飲酒と浄土宗とで対象は異なりますが、ただ南無阿弥陀仏と唱えることという浄土宗の精神と合致するものがあります。

 
 このように、法然上人の単純明確な理論は他の多くのものに影響を与えてきました。われわれ現代人も、 あれこれ理由をつけて謝罪したりせずに、間違ったときは素直にすぐに謝る、 また嬉しいときや悲しいときは格好をつけてそれを押し殺さずに喜んだり悲しんだりするのが良いのです。 蓮生法師の単純明確な生き方を学ぶべきではないでしょうか。
 

2004年07月09日

●「ブログ」

アイドルもすなるブログといふものを、素人もしてみんとてするなり。
 
 
 最近巷で流行っているブログ。これについて今回は述べてみましょう。
 ブログとは、一言で説明すれば「日記」のことです。その日にあったこと、感じたことなどを記すものですが、 他人の日記を見て何が楽しいのでしょうか。他人の日記というのは、盗み見るから楽しいのであって、 おおっぴらにされた日記を見てもなんらワクワクしません。お気に入りのアイドルや、アーチスト、 またひいきにしている政治家などの日記でしたら多少ワクワクもしますが、そこらへんにいる知らないおばちゃんや、 おっさんの日記を見ても何ら感じません。 
  
 
 と、ここまでは批判なのですが、実はこの「法話もどきのひとり言」のコーナーもブログの様なものなんですねえ。日付が入っていますし、 コメントを書き込めませんが、替わりに掲示板がありますし、批判する文章ばかりが目立ちますが。誰が見ているのかわからないし、 誰か見ているひとがいるのかどうかわからないし、まして、わたしはジャニーズやモー娘みたいなアイドルでもないし。
 
 厳しい言い方をすれば、自己満足の産物なんですね、ブログっていうものは。何処何処へ行って楽しかった、何々に頭にきた、 などブログとして公開することですっきりしているんです。ですから、私も最初のブログに対する見識を改めましょう。いいじゃないですが、 素人が何を書いたって、誹謗中傷はちょっと問題ですが、言論の自由です(ちょっと言い過ぎですが)。 
 
 
 アイドルもすなるブログといふものを、素人もしてみんとてしましょう。

2004年06月17日

●関ブロ研修会を終えて」

 私自身の心配をよそに、無事関ブロ研修会は233名の参加という大成功ののち終了しました。例の資料も想像以上に評判が良く、 うれしい限りです。埼玉浄青の役員の方々はもとより、多くの皆様方の尽力に感謝申し上げます。
  
 さて、内容の方は、谷崎先生による「法然上人とお念仏」と題した講演、というよりは研修が行われました。 浄土宗僧侶として基本的で簡単なことであるが、いざ説明するとなると難しく、かつ考え違いしやすい事柄(宗義)を、 とてもわかりやすく説明して頂きました。こういったことは、一度本筋をずれてしまうと、年を重ねるごとに変わっていってしまい、 終いにはまったく正反対のことを言っている、なんてことになりかねないことですので、われわれ若輩の僧侶はここで一旦、原点に帰って、 改めて確認し直すといったことの重要性に気付かされました。
 法然上人のご法語『一枚起請文』の一節にあります「智者の振る舞いをせずして・・・」という箇所があらためて頭の中をよぎる次第です。 わかっていたはずのことがわからなかったり、また勘違いしていたり、独自の解釈を加えていたりと、まだまだ知らないことが多い、 またわかっていたとしても同じ話に耳を貸す、何も知らない「無智の輩に同じうして」 謙虚な姿勢を持たねばならないということを改めて感じました。仏教や宗義に限らず、人生は生きている限り常に勉強なんですねえ。

 本当に為になるお話ばかりで、私のメモノートも何ページにもなってしまう次第でした。谷崎先生におかれましては、 お忙しい中を2日間もお付き合い頂きまして、いくら感謝してもしきれないほどです。
 
 
 わたし個人としましては、研修会の内容はもとより、 多くの浄青会員の方々とお知り合いになれたことがひとつの財産になったと考えております。多忙(?)のため、 なかなか出席はできない状況ですが、今後とも皆さんの集まりにはできる限り参加させて頂きたいと考えております。 今後ともよろしくお願い致します。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2004年06月10日

●「浄青デビュー?」

 忙しさ(?)にかまけて無の境地に立っていた浄青にデビューすることとなりました。ご存じない方のためにご説明しますと、 浄青とは浄土宗青年会の略であり、浄土宗寺院の青年僧侶の集まりです。いわゆるお楽しみ会とは違いまして、 法式などの勉強をする会でありますので、誤解なさらないでください。
 
 で、この浄青に初参加したわけですが、今回6月15、 16の両日に開かれる関東ブロック浄土宗青年会の大会の資料作りを微力ながらお手伝いさせていただいたというわけです。 高校の後輩である大龍寺さんからのお誘いでは断ることはできず、(いいえ、断る気なんて毛頭なかったですよ、ハハハ、ヒクヒクッ)、 参加したのです。 
 
 今回の関ブロでは、記念品など出さずに、生涯使えるようなノートを作ろうということになって、 簡単な知識の資料ノートの作成ということになりました。ご参加される皆さんは、このノートを自分で補足していって、 何かのときにはこのノートを見ればすべて事足りるといったものにしていただきたいのです。誰ですか?手抜きだなんて言っているのは・・・! 決して手抜きなんかじゃありませんよ。このノートをただのメモのままで眠らせておくのも、一子相伝の大浄土宗全集にするのも、 あなたにかかっているのです。手抜きだの、予算をケチっただのとの汚名をあえて受けましょう。私たちは、皆さまのために、 一石を投じたのです。きっかけを作ったのです。そう考えましょう。いや、そう考えてください。
 
 
 で、私が作ったというか、編纂した資料といえば、自坊の開山蓮生法師の紹介文と、総大本山の簡単な紹介・・・・。 あっちこっちのホームページから切り貼り、コピペコピペで作成しました。労力は大したことは無かったのですが、 今改めて今までの復習と更なる学習の必要性に気づかされました。
 
 で、最近のホームページ更新のラッシュにつながっています。ここ数年開きもしなかったほこりだらけの書物類をひっくり返し、 所々に書き込んだメモを見て、昔は勉強していたんだなあと感心してしまいました。自分で自分をほめてあげたい。で、これからも、 自分で自分をほめてあげることができるようがんばっていくつもりです。
 
 
 みなさんも、がんばりましょう!
 (熊谷弁では、がんばんべぇ!)

1999年05月13日

●「お寺の都合?」

 皆様にはご連絡の通り、当寺院前住職が正念往生いたしました。当然ながら、その葬儀式にはそれなりに時間と手間が必要となります。 各寺院との打ち合わせや料理・引物の手配、葬儀社との打ち合わせ、またその他諸々と。
 そんな折り、山門の中に一通の手紙が放り込まれていました。内容はというと、「坊主の都合で休むな」と。何なのでしょうか、これは。 山門を閉めるのが坊主の都合なら、参拝時間でないときに勝手に来訪するのもその人の勝手な都合です。予約申し込みしたわけでも無し、 ましてや私副住職をはじめ、近所の方までが「こんな忙しいときなのだから参拝を中止したら」と言うなか、かたくなに開けると言い張り、 そうしている住職に対する言葉がこれなのでしょうか。

 
 お寺は開いていて当然なのでしょうか?確かにそういう寺院は多い、しかしそうでない寺院も多いのです。お寺といえども、 われわれの生活の場、生活の時間があります。以前にも申し上げたことがありますが、立入禁止の中にまで入ってくる始末。 食事をとっていると縁側のすぐ前にまで入ってきている。本堂に上がり込んで花火をしている者、煙草を投げ捨てる者、唾を吐き捨てる者、 駐車場代わりに使う者、花や木を折って持っていこうとする者、などなど数え上げればきりがありませんが、 よくまあこれだけ不謹慎な人が集まるものだとあきれてしまいます。
 山内に入った方々のうち、本堂や本尊様、蓮生墓に手を合わせる方は10人に1人いるかいないかのレベルです。本当に寂しいことです。

 
 開放、閉門といずれが正しいのかわかりませんが、こんなことがあると、いっそのこと閉めてしまえば楽だ、 という考えも浮かんできてしまいます。
 みなさんは、どうお考えになりますか?

1998年09月29日

●「直実ブームを取り巻く現状」

 ここ1年ほどは直実ブームとでもいいましょうか、とかく何かに付け直実が現れます。先日も当寺院本堂にて「熊谷陣屋」 が講演されました。熊谷次郎直実はその名の通り熊谷で生まれ、熊谷で入寂したにもかかわらず、京都では有名ですが、 この地元熊谷ではそれほどではありませんでした。
 そんなことではいけない、剛の者としての名声ばかり先立ってしまう直実の本当の心の持ち様を知って欲しい、 そんな気持ちから熊谷歌舞伎の皆様は直実を演じることとなったものと私は思います。事実、 熊谷駅前に立っている銅像は鎧を着た武士としての直実であり、法力房蓮生法師では無いのです。
 
 直実の真の姿を伝えたい、これは素晴らしいことです。ですが、これに取り巻くものはそのような考えでないように思われます。 寂しいことですが、直実を商品として使う、そういう方々が少なくないのは、誠に悲しい限りです。

 
 例えば、直実に関する書物や資料集を編集すると言って、当寺院より資料や写真を借用したにもかかわらず、 当寺院住職が何十年もかけて全国を回り撮影した写真や図表を無断で使用したり、 (これは著作権侵害に該当します)、当寺院に何の断りもなく本尊さまや直実の墓所をビデオ撮影したり、 (いわゆるゲリラ撮影盗撮に該当します)、 その功績を自分のものとしてしまう者、果ては歌舞伎の当日に賽銭を盗んでいく者(窃盗罪)、 後から来て座布団を用意しろという方(この方は住職や当寺院関係者の誰一人に対しても何の挨拶もしないで帰りました、 それ以前に政教分離ということをご存じ無いのかと疑ってしまいます)、などなど、 人間のいやな部分が見えてしまいました。
 
 歌舞伎を演じる方々、舞台を設定される方々、それに協力される方々が一生懸命であるがゆえに、残念な部分です。

 
 先程述べた本尊・墓所の無断撮影の件ですが、もし私がその方の家の中や仏壇、墓地などを無断で撮影し、不特定多数の人々に見せたとしたら、 その方はどういう気持ちになるでしょうか?きっと、嬉しいなんてことは無いはずです。自分がされたら嫌なことでも、 他人に対してはしてしまう、このような方には2度と入山して欲しくないものです。
 また、阿弥陀様の前では誰でも平等なのです。「・・・貴賤を問わず・・・」とおっしゃっています。歌舞伎でいい席に座りたいからと、 何時間も前から山門前に並ばれたり、入場しきれなくて、畳の上でなく板の間の上に座って鑑賞されている方もいらっしゃるというのに、 座布団を出せとはいったいどういうことなのでしょう。あきれてものが言えません。

 
 嫌な点ばかり申し上げましたが、当寺院の苦労も多少なりともわかっていただきたくこのような文章を掲載致しました。 誤解があるといけませんので、ここで申し上げておきます。山門外等に掲示してありました寄付金の表示、 また門前市と称される催事等は当寺院とは一切関係ないものですので、お電話等によるお問い合わせ・苦情には対応致しかねます。

 
 最後に、歌舞伎関係者及び熊谷寺・久山寺・蓮昭寺檀信徒のみなさまに今後とも真の直実をご理解し続けていただけるようお願い申し上げます。

1998年08月20日

●「盆施餓鬼法要 南無阿弥陀仏と称える時間がない?」

 おかげさまで、今年のお盆・お施餓鬼法要も無事終えることができました。檀信徒のみなさまには心よりご感謝申し上げます。

 
 さて、今年は法要の前に法話といいますか、前説といいますか、そのような話を行いました。恥ずかしながら、当山に取りましては、 実に数十年ぶりのことです。奇しくも、今年のお棚経では、この「お盆・お施餓鬼とはそもそも何なのか?」という質問が多かったため、 改めてお檀家さんの前でご説明することにしたわけです。
 ご先祖さんを供養する、餓鬼に施す、といったことはご存じでしょうが、それ以上のことをご存じの方は残念ながら多くなかったようです。 ですが、この現状は当山の歴代ともども我々の責任であり、まことにもって恥ずかしい限りです。
 
 その内容はさておき(内容については来年以降の法要にご参加ください)、当初10分の予定が15分ほど話してしまい、なかには 「話など早く終わりにして法要を始めたら」とおっしゃっていた方もいらしたようです。お急ぎなのは十分わかるのですが、 法要さえ終わればよい、というように思えてしまいますし、もう少し心にゆとりを持たれたら、とも考えてしまいます。

 
 最前列に座られて、同唱十念をされているお檀家さんも少ないながらいらっしゃるのに、浄土宗信徒でありながら「南無阿弥陀仏」 の一言さえも言う時間がないというのは、本当に嘆かわしいことです。阿弥陀様の光は常にこちらに届いているとはいっても、これでは・・・ と思うとなんとなく哀しくなります。

1998年04月14日

●「ちょっとしたこと」

 お彼岸も終わり、ようやくちょっとひと休みです。そのようなわけで、このひとり言のコーナーも久しぶりの更新です。
で、お彼岸で気づいたことですが、いいえ、お盆のときや年中気になっていることですが、墓地のゴミに関しての事です。
 
うちの墓地のゴミの量は半端な量ではないのです。管理費を領収していますので、墓参のゴミは当然片づけますが、どこの誰が持ってきたのか、 なべやフライパンなどどう考えても家庭のゴミとしか思えない物まで捨てられてしまう始末です。ホント、困ったものです。
 また、私がゴチャゴチャになったゴミの袋を開けて分別しているそばから、道端に投げ捨てている方もいらっしゃるようです。 法事のときとまるで別人にような態度にあきれてしまう事もあります。もっとも、 まさか法事でお経をあげている人間が墓地でゴミ掃除をしているなんて普通は思いませんから仕方ないのでしょうけれど・・・。
 
 最近はゴミ分別も厳しくなっておりますので、できましたら分別してゴミ置き場へおいて欲しいものです。垣根の陰に隠すように置いたり、 他人の墓地との隙間に押し込んだりはもってのほかです。きちんと分別して置いておく、自分のことだけでなく他の人たちのことも考えること、 お墓参りをしたらこうしてこそ本当の御供養と言えるのではないでしょうか。
 
 
 ところで、墓地で出たゴミは持ち帰るな、とか火葬場への行き帰りは違う道を通れ、 などという話をみなさんはお聞きになったことがお有りでしょうか。
どこどこの誰が言ったなどというはっきりしたことはわかりませんが、いや、 はっきりとご存じの方に私はいまのところ出会ったことがありません。ただ、私は次のように考えるのですが、どうでしょうか。
 
 人間の霊には、誰しも良い霊と悪い霊の2つがあり、良い霊とは念仏を称え、ただひたすら極楽浄土への往生を願い、一方悪い霊は世俗に穢れ、 未練を残し成仏できないでいる。良い霊は問題ないのですが、悪い霊は隙あらばこの世に残ることをねらっているため、 行き帰りに同じ道を2度も通るとその道を覚えてしまい、この世への未練ゆえに後をついてきて成仏できない状態になってしまう。 道がわからなければ、良い霊の所に戻り、一緒に成仏するしかない、となるわけです。
 
 いずれにしても、迷信の域を出ないものですからそれほど気にする必要はないと思いますが、心掛けとして、 常にご先祖さまのことを考えている、という点では素晴らしいことであると思います。
 

 

1998年03月04日

●「思いやりの心」

 街中で、何か困っている人がいるとします。そんなときあなたならどうしますか?
 
 なんか心理テストのような書き出しになってしまいましたが、通常は”手助けをする”、若しくは”知らんぷりをする”のどちらかですよね。 どちらがいいのかと言われれば、前者の方がいいと言う人が多いはずです。でもここで問題なのは、その行動の起因が”手助けをする”ではなく、 ”助けてあげる”ということなのです。
 ”†してあげる”というのは、場合によってはあくまで相手より自分の方が優れているという前提に立っていての行動であったり、または、 普通はする必要がないのに”わざわざ†する”という意味が含まれていることが大半かと思います。つまり、この行動の後ろには、 見返りを求めているのです。”†してあげた”から今度は”†してもらう”という期待や、逆に”†してもらった”から”†してあげる” という義務が生じているのです。
 
 以上のように、 人に対しての行為には常に期待義務がついてまわるものなのです。 この期待や義務があるからこそ、意に反した結果が出たときに、”せっかく†してあげたのに”などという気持ちが生じるのです。
 
 思いやりの心、相手の立場に立っての言動を実践することは大切なことです。私はこう思うのです。実践の後にあれこれと考えない、 期待や義務に付随する後悔や虚しさを意識しないでの実践を勧めます。
 思いやりの心をもつこと、ただ思いやりの心のみをもつこと、これが大切なことなのではなのでしょうか。

1998年01月13日

●「宗教って」

 みなさんは宗教についてどう思われますか?よく聞く話ですが、日本人は無宗教であるという話があります。 外国人から見ると異様な事であるようです。でも、考えてみて下さい。みなさんの肉体、いや厳密に言うと遺骨は死を迎えた後どうなりますか? たいていの場合は、菩提寺や教会やその他の
墓地と言われる所に納められるはずです。その場所があるお寺の宗教が自分の宗教というわけです。ですが、まあ、 最近は散骨などという方法もあるようですが。あっ、言っておきますが、私は散骨を否定しているわけではありませんよ。 人それぞれ人生の終わりの迎え方、その後の方法については希望というものがありますからね。墓石の下には入りたくないとか、 自由になりたいとか、いろいろな好みがありますから。また、お墓に入って落ち着きたい、と考えるのも好みです。
 
 話が多少それましたが、世の中には様々な宗教が存在しています。仏教にしても、天台宗、真言宗、浄土宗、浄土真宗・・・ と数多くの宗派が存在します。キリスト教にしても様々な派があります。宗教は、もとは数えるほどしかないのに、 解釈の仕方によって様々に分かれていったのです。
 
 なかにはうさんくさい宗教もあるようですが、それについての善し悪しは述べないことにしましょう。本人が信じていれば、 それが一番幸せなのですから。でも、本人が幸せでもその他の家族が心配したりするようなのはいただけません。他人を不幸にして、 何が信といえるのでしょうか?○○教に入信しないと不幸が起こる、△△宗は間違った教えだなどと他宗、他教を批判・ 排斥するようなところはもってのほかです。(と言っていますが、これも他宗批判になるのでしょうか?) それぞれの宗教ごとに優れた教えがあり、われわれはその中から自分の考えに合うものを選べばよいのです。
 
 法然上人も浄土宗開宗の際にこう述べられています。「聖道門を捨て、浄土門に帰す」。簡単に言いますと、 我々人間の大部分は凡人であるから、厳しい修行や戒律を守り抜く事はできない、 ならば阿弥陀仏の御名号を称えるだけで極楽往生できる浄土門を選ぼう、と言うことです。決して他の教えを否定してはいません。 難行を実施できる人はそれを選べばよいのです。それができないから、阿弥陀様におすがりしよう、ということなのです。
 
 他人を不幸にする宗教は宗教とは呼べません。自分で絶対だと思っている方も、この点をもう一度考え直してみたらいかがでしょうか? まわりのことを見たり考えたりする余裕のある宗教、こんな宗教こそが本当の宗教なのではないでしょうか?

1997年12月23日

●「謝るこころ」

 謝ること、ごめんなさい、とか、すいません、とか。これってなかなか難しいことですよね。私の周りだけかもしれませんが、 「ごめんなさい」って素直に謝る人ってあまり見かけないんですよ。自分に、または相手に明らかに非があるのに謝ろうとしない、いや、 口ではそれらしき言葉を言っていても、それが伝わってこないんです。
 
 さらには、「悪いとは思っていたんだけど」とか、「†がいいって言ったから」などと、「ごめんなさい」以外の様々な枕詞(?)がつく人、 結構いますよね。必要な言葉以外のことをあれこれと喋るのは、自分に自信がないからでしょうか?
 
 訪問販売や、何らかの勧誘など、次から次へと喋りまくりますよねえ。人は不安になったり、嘘をついたりする時って、 自然と多言になるんです。自信がないから、言葉で繕おうとしてしまうんです。極端かとも思いますが、高倉健の映画ように”男は黙って云々”、 ”二言無し”、とか”背中で語る”ってことも然りです。自信があれば、また、本当に申し訳ないと思っているのなら、ただ一言「すいません」 と言うだけで、相手の裁量を待つのがもっともだと思います。本当に申し訳ないと思っているのなら、下手な言い訳はしませんし、 そうすればきっと、相手もきっと許してくれることでしょう。
 
 下手な言い訳は、相手の怒りに油を注ぐだけです。素直に謝ること、これが一番大切なことなのです。 怒られるようなことをしてしまった自分が悪いのですから。素直な心、そんなこころを阿弥陀様は見てくださっているのですから。