「天上天下、唯我独尊」
お釈迦さまは生まれると、すぐに七歩ほど歩み、右手で天を、左手で地を指さしてこうおっしゃいました。
「天にも地にもただ我れひとり尊いものである。」
これを聞きますと、「自分だけが尊い存在であり、自分以外は虫けら同然である」という意味に解釈されてしまいます。
お釈迦様がそんなあきれたことを言うはずがない。本当の意味は違うのではないか。
そこで、今までの仏教学者たちはこう解釈しました。
「人は誰でもこの世に一人だけである。人と人に尊い尊くないの区別はない。この人も、あの人もそれぞれに尊いものである。」
この考え方ですが、お聞きになれば確かにその通りだと思う方が多いかと思います。
ですが、お釈迦様の言葉はこれだけでなく、後にこのような言葉が続いてあります。
「三界皆苦、我当度之」
「三界は皆苦しみの世界である。我れはまさにこれを度したてまつる。」
お釈迦様のこの言葉はどのような意味かと申しますと、
「三界の衆生は皆苦しんでいる。私はこれを取り除き、心を安らかなものとす。」
すなわち、「すべての人々の苦しみを取り除くのだ。」とおっしゃっているのです。
「自分はすべての人々の苦しみを取り除き、心を安らかにするために生まれたのである。そのようなことが出来るのは天にも地にも私ひとりである。」
ここで言う「尊い」という言葉は「尊敬する」という字の「尊い」とは若干ニュアンスが異なります。インドの言葉であるサンスクリット語から中国語に翻訳された際に、その翻訳者にお釈迦様を尊敬する気持ちがあったため「尊い」という文字が使われたのではないかと言われています。
お釈迦様がお生まれになって、こう宣言されたとき、天に住む竜は感激して甘露の雨を降らし、その雨水が産湯として使われたと伝えられています。甘茶を掛けるのはこのことに由来しています。
また、花御堂はお釈迦様がお生まれになったルンビニ園という場所を表現しています。
花まつりは、インドや中国でも古くから行われている行事です。日本では推古天皇の時代(606)に元興寺で初めて行われました。お釈迦さまの誕生を祝い、お釈迦さまの智慧と慈悲の教えを信じてゆくことを誓う日です。
本日、当寺にて花まつりが厳修されました。天気も良く、檀信徒の皆さま、一般の方々、総勢百数十名の方々が集い、お釈迦さまの誕生をお祝いされました。お念仏・詠唱の会の皆さまの『花まつり和讃』の奉納も行われました。