1998年01月13日

●「宗教って」

 みなさんは宗教についてどう思われますか?よく聞く話ですが、日本人は無宗教であるという話があります。 外国人から見ると異様な事であるようです。でも、考えてみて下さい。みなさんの肉体、いや厳密に言うと遺骨は死を迎えた後どうなりますか? たいていの場合は、菩提寺や教会やその他の
墓地と言われる所に納められるはずです。その場所があるお寺の宗教が自分の宗教というわけです。ですが、まあ、 最近は散骨などという方法もあるようですが。あっ、言っておきますが、私は散骨を否定しているわけではありませんよ。 人それぞれ人生の終わりの迎え方、その後の方法については希望というものがありますからね。墓石の下には入りたくないとか、 自由になりたいとか、いろいろな好みがありますから。また、お墓に入って落ち着きたい、と考えるのも好みです。
 
 話が多少それましたが、世の中には様々な宗教が存在しています。仏教にしても、天台宗、真言宗、浄土宗、浄土真宗・・・ と数多くの宗派が存在します。キリスト教にしても様々な派があります。宗教は、もとは数えるほどしかないのに、 解釈の仕方によって様々に分かれていったのです。
 
 なかにはうさんくさい宗教もあるようですが、それについての善し悪しは述べないことにしましょう。本人が信じていれば、 それが一番幸せなのですから。でも、本人が幸せでもその他の家族が心配したりするようなのはいただけません。他人を不幸にして、 何が信といえるのでしょうか?○○教に入信しないと不幸が起こる、△△宗は間違った教えだなどと他宗、他教を批判・ 排斥するようなところはもってのほかです。(と言っていますが、これも他宗批判になるのでしょうか?) それぞれの宗教ごとに優れた教えがあり、われわれはその中から自分の考えに合うものを選べばよいのです。
 
 法然上人も浄土宗開宗の際にこう述べられています。「聖道門を捨て、浄土門に帰す」。簡単に言いますと、 我々人間の大部分は凡人であるから、厳しい修行や戒律を守り抜く事はできない、 ならば阿弥陀仏の御名号を称えるだけで極楽往生できる浄土門を選ぼう、と言うことです。決して他の教えを否定してはいません。 難行を実施できる人はそれを選べばよいのです。それができないから、阿弥陀様におすがりしよう、ということなのです。
 
 他人を不幸にする宗教は宗教とは呼べません。自分で絶対だと思っている方も、この点をもう一度考え直してみたらいかがでしょうか? まわりのことを見たり考えたりする余裕のある宗教、こんな宗教こそが本当の宗教なのではないでしょうか?