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1998年08月20日

●「盆施餓鬼法要 南無阿弥陀仏と称える時間がない?」

 おかげさまで、今年のお盆・お施餓鬼法要も無事終えることができました。檀信徒のみなさまには心よりご感謝申し上げます。

 
 さて、今年は法要の前に法話といいますか、前説といいますか、そのような話を行いました。恥ずかしながら、当山に取りましては、 実に数十年ぶりのことです。奇しくも、今年のお棚経では、この「お盆・お施餓鬼とはそもそも何なのか?」という質問が多かったため、 改めてお檀家さんの前でご説明することにしたわけです。
 ご先祖さんを供養する、餓鬼に施す、といったことはご存じでしょうが、それ以上のことをご存じの方は残念ながら多くなかったようです。 ですが、この現状は当山の歴代ともども我々の責任であり、まことにもって恥ずかしい限りです。
 
 その内容はさておき(内容については来年以降の法要にご参加ください)、当初10分の予定が15分ほど話してしまい、なかには 「話など早く終わりにして法要を始めたら」とおっしゃっていた方もいらしたようです。お急ぎなのは十分わかるのですが、 法要さえ終わればよい、というように思えてしまいますし、もう少し心にゆとりを持たれたら、とも考えてしまいます。

 
 最前列に座られて、同唱十念をされているお檀家さんも少ないながらいらっしゃるのに、浄土宗信徒でありながら「南無阿弥陀仏」 の一言さえも言う時間がないというのは、本当に嘆かわしいことです。阿弥陀様の光は常にこちらに届いているとはいっても、これでは・・・ と思うとなんとなく哀しくなります。