1999年05月13日

●「お寺の都合?」

 皆様にはご連絡の通り、当寺院前住職が正念往生いたしました。当然ながら、その葬儀式にはそれなりに時間と手間が必要となります。 各寺院との打ち合わせや料理・引物の手配、葬儀社との打ち合わせ、またその他諸々と。
 そんな折り、山門の中に一通の手紙が放り込まれていました。内容はというと、「坊主の都合で休むな」と。何なのでしょうか、これは。 山門を閉めるのが坊主の都合なら、参拝時間でないときに勝手に来訪するのもその人の勝手な都合です。予約申し込みしたわけでも無し、 ましてや私副住職をはじめ、近所の方までが「こんな忙しいときなのだから参拝を中止したら」と言うなか、かたくなに開けると言い張り、 そうしている住職に対する言葉がこれなのでしょうか。

 
 お寺は開いていて当然なのでしょうか?確かにそういう寺院は多い、しかしそうでない寺院も多いのです。お寺といえども、 われわれの生活の場、生活の時間があります。以前にも申し上げたことがありますが、立入禁止の中にまで入ってくる始末。 食事をとっていると縁側のすぐ前にまで入ってきている。本堂に上がり込んで花火をしている者、煙草を投げ捨てる者、唾を吐き捨てる者、 駐車場代わりに使う者、花や木を折って持っていこうとする者、などなど数え上げればきりがありませんが、 よくまあこれだけ不謹慎な人が集まるものだとあきれてしまいます。
 山内に入った方々のうち、本堂や本尊様、蓮生墓に手を合わせる方は10人に1人いるかいないかのレベルです。本当に寂しいことです。

 
 開放、閉門といずれが正しいのかわかりませんが、こんなことがあると、いっそのこと閉めてしまえば楽だ、 という考えも浮かんできてしまいます。
 みなさんは、どうお考えになりますか?

1999年05月10日

●「表葬儀式のご連絡」

蓮生山 熊谷寺第三十二世 秀誉景和儀
去る四月二十五日正念往生いたしました 因って密葬の儀は四月二十九日に近親者にて相勤めました
茲に生前のご厚誼を深謝謹んで御通知申し上げます
就きましては 本葬の儀を下記の通り執り行ないます
                                平成十一年五月
        記
日時、平成十一年五月二十日(木)午後二時 本葬儀式
場所、熊谷寺 本 堂
                 埼玉県熊谷市仲町四十三 
                      浄土宗蓮生山熊谷寺
                 遺弟 漆間和美
                 法類・親戚一同
                 檀 徒 総 代

 


なお、お車でのご来寺、また花環につきましては、ご遠慮下さるようお願いいたします。

 
                        熊谷寺副住職 法蓮社良誉