2001年07月31日

●「数珠と合掌」

   「数珠」について

 浄土宗では、数珠は二連となっているものを使用します。同じ大きさの珠が並んでいる一の環と、大小二つの珠が交互に並んで二の環、 更に丸い珠のついている一の房、円盤状の珠がついている二の房、このような数珠を使用します。これら二つの環と二つの房は、 お念仏を唱える際にその数を数えるために使われます。一の環ひと回りでお念仏が三十九遍、この際に二の環の珠をひとつ、そして、 二の環がひと回りしたら、一の房の珠ををひとつ、更に一の房がひと回りしたら二の房の珠をひとつ。こういったふうに数えていきますと、 合計で六万遍のお念仏を唱えたことになります。

 右写真の数珠は六万遍と呼ばれる数珠ですが、参考までに挙げますと、その珠や環の大きさや数によって、三万遍、三万五千遍、 更には京都の知恩寺にある百万遍と呼ばれる一つの珠がソフトボールくらいある数珠もあります。

 数珠の持ち方、かけ方、合掌の仕方は図のように、合わせた両手の両親指に二連を掛け、手前に垂らします。このとき、 指はまっすぐに伸ばし、ぴったりとつけます。右手が仏さま、左手が自分であり、両者がとけあい、 仏さまにいだかれて安心して生きていくことができるというわけです。

   「合掌」のしかた

 また、合掌の際に珠同士を擦り合わせてジャラジャラと鳴らす方をよくお見かけしますが、少なくとも浄土宗においてですが、 これは避けるようにしましょう。ジャラジャラという音がみっともないとか、やかましいとかいう意見もありますが、 浄土宗の本質で言いますと阿弥陀さまの光はすべてのところに届いていて、常にわれわれのことを見ていてくださるのです。ですから、 「南無阿弥陀仏」と称えるだけで阿弥陀さまはもうその願いを聞き、救ってくださるわけです。 敢えて音を立てて自分の方を振り向かせる必要は無いということなのです。「月影の至らぬ里はなかりけり・・・」という歌がありますが、 阿弥陀さまの光は月のあかりと同じくすべての場所を分け隔てなく照らしているのです。法要の際、お念仏を称える直前に、 「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」と必ず称えますが、この意味は、如来(阿弥陀さま)の光は、あまねく十方(すべての) の世界を照らし、念仏の衆生(念仏を称える人々)を捨て給わず(捨て去ることはない、つまり必ずその願いを聞きとどけてくれる) という意味です。まさに浄土宗の本義です。ですから、お念仏をしましょう、阿弥陀さまにお願いしましょう、ということになるわけです。

 お仏壇やお墓にてお参りする際にも、こういったことを踏まえてお念仏をお称えするように心がけましょう。
 

 

2001年07月20日

●「『南無阿弥陀仏』とは?」

 浄土宗では、通夜式、葬儀式、初七日、四十九日、1周忌、三回忌・・・、お彼岸、お盆、お施餓鬼など供養する際に、「南無阿弥陀仏」 と称えます。この「南無阿弥陀仏」というお念仏にどういう意味があるのかということについてお話させていただきます。 通夜式の際にお話させていただくこととほぼ同じ内容のことですが、いま一度おつきあい下さい。
 
 
  「南無阿弥陀仏」について

 「南無阿弥陀仏」とは、その文字通りに見ますと、「阿弥陀さまに南無する」ということです。それでは、「南無する」 とはどういうことなのでしょうか?辞書等をみますと、「南無」とは「帰依する、心の拠り所とする」といった意味があります。つまり、 阿弥陀さまを頼りにする、ということなのです。

 ところで、いったい何について阿弥陀さまを頼るのでしょうか?何をお願いするのでしょうか?  阿弥陀さまのお造りになった西方極楽浄土の世界に、故人が往生できるように、 そしてそこで健やかに暮らしていくことができるようお願いするのです。往生という言葉を考えますと、よく「立ち往生」 などという言葉を思い浮かべ、困ってしまうなどのあまり喜ばしくない場面で使われますが、本来は、「往」 という字には往復という言葉のように「行く」という意味があります。西方極楽浄土の世界に行って、そこに生まれる、暮らしていく、 という意味なのです。ある有名な法師の言葉に、「人は死して、消えて無くなるわけではない、浄土に生まれ変わるだけのことなのだ」 とあります。われわれの目の前から存在が消え、記憶までも無くなってしまうわけではない。生活している場所が変わっただけ、 いわば遠くへ引越しただけなのだ、ということなのです。

 こういった思いを込めて、四十九日頃までは「阿弥陀さま、故人を浄土の世界へ導いていただきありがとうございます。」と、 年回忌には「故人は浄土の世界で健やかに暮らしていますか?何か困っていたりしたら、助けてあげてください。 私たちも元気に過ごしております。心配しないようにお伝え下さい。」といった思いを込め、「南無阿弥陀仏」 とお念仏されるようお願いいたします。
 
 
  西方極楽浄土とは

 浄土宗のよりどころとなっている三つのお経として「無量寿経」「観無量寿経」そして「阿弥陀経」があります。このうち、 当寺で専ら通夜式と葬儀式にて読経させていただいています「阿弥陀経」こそが、 阿弥陀さまがおつくりになった西方浄土の世界はどういう世界なのか、ということが述べられているお経です。

 この経典は前後巻の二巻で構成されています。前巻では、空には様々な鳥たちが飛びかい、雅やかな鳴き声で奏でており、 地面は金銀の砂で覆われ、池には車輪のような大きな蓮の華が青白黄赤にひかり輝き、建物は金銀瑠璃玻璃などの様々な宝石で造られていて、 まばゆいばかりのすばらしい世界である、と述べられています。勘違いされてはいけないのですが、これだけを聞くと、 成金趣味のこれ見よがしな毒々しい世界なのかとも考えてしまうかもしれませんが、 現実世界での表現をとったためこのような言い方になっただけなのです。とにかく、すばらしい世界であるということを述べているのです。

 後巻は六方段、若しくは護念経とも呼ばれており、東南西北の四方と上下の二方を合わせ、六方、 すなわちあらゆるところに多くの仏さまたちが住んでいて、その仏さまたちが皆、この浄土は素晴らしい世界であると述べています。 その仏さまたちの数はガンジス河の砂の粒の数ほどで、広さは三千世界の彼方まであるとも述べられています。

 つまり、浄土の世界とは仏さまの清らかな慈悲の光が満ちあふれ、美しい花が咲き匂っているところなのです。 私たちだれでも心に持っている金欲、物欲、名誉欲など様々な俗世の欲望をきれいに捨て去った世界なのです。いがみあいやそしりなどがなく、 みんながお互いに助けあって平和に健やかに暮らしていける世界、これが浄土の世界なのです。