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2004年07月10日

●「多くの一枚起請文」

 『一枚起請文』、浄土宗僧侶でこれを知らない者はいないはずです。また、浄土宗信徒、すなわちお檀家さんであれば、 これを知らない人はいないほど大切な一文です。もし、ご存じないとすれば、それはお檀家さんの責任ではなく、 われわれ寺の人間の日頃の怠惰さが原因なのです。このことは誠にもって恥ずかしいことであり、反省し、改めなければならないことです。

 
 さて、この「一枚起請文」は言うまでもなく、浄土宗開祖の法然上人が亡くなる2日前に弟子の源智上人に請われて記したものです。 有名であるが故に、この文体を真似して多くの『一枚起請文』が記されています。例えば、茶道で有名な千利休の『茶の湯一枚起請文』、 伝尊朝親王による『飲酒の一枚起請文』、さらに哲学者井上円了氏の『哲学の一枚起請文』、孤立大我による『渡世の一枚起請文』 などがあります。このことからも、いかにこの『一枚起請文』が名文として世間に流布され、敬われていたかを知ることができます。内容は、 参考までに以下に掲載しておきますのでご一読下さい。
 
 『茶の湯一枚起請文』においては、千利休は茶の湯とはただ茶を沸かして飲むことであると述べています。 あれこれ理屈をつけずにただただ茶を沸かして飲むことであると述べています。「飲酒の一枚起請文』では、 憂さ晴らしや何かのために酒を飲むのではなく、ただ飲みたいから飲むのであると述べています。

 茶道と飲酒と浄土宗とで対象は異なりますが、ただ南無阿弥陀仏と唱えることという浄土宗の精神と合致するものがあります。

 
 このように、法然上人の単純明確な理論は他の多くのものに影響を与えてきました。われわれ現代人も、 あれこれ理由をつけて謝罪したりせずに、間違ったときは素直にすぐに謝る、 また嬉しいときや悲しいときは格好をつけてそれを押し殺さずに喜んだり悲しんだりするのが良いのです。 蓮生法師の単純明確な生き方を学ぶべきではないでしょうか。