2005年03月30日

●「寺庭婦人若葉研修会」

 先日、3月27、28、29日の3日間にわたり、浄土宗総本山京都知恩院にて浄土宗寺庭婦人若葉研修会が開催され、私(副住職) の妻がこれに参加させていただきました。結婚してから5年も過ぎていますので、今さら若葉というでもないのですが、原点に立ち返り、 改めて勉強するという最近の私に感化(?)されたのか、ともかく無事に3日間の研修を終えたようです。
 
 
 ジャンケンで負けたため班長になるわ、それが第1班であったため、帰敬式にて全員の代表として誓詞を読み上げるわ、 他の寺庭婦人の皆さんを差し置いて、畏れ多いことをしてきたようです。研修内容や感想等は後日、彼女が掲載するということですので、 ご一緒された皆さまは楽しみに(?)お待ち下さい。
 

2005年03月26日

●「編集委員」

 先日、埼玉教区浄土宗青年会(以下、埼浄青)の会長さんからお電話をいただきました。内容は、 埼浄青の編集委員になってほしいとのことでした。聞けば、D龍寺のM上人やT源寺のO上人が推薦されたとか・・・。やられたっ!!  
 
 冗談はさておき、断る理由もありませんし、役に立てるかどうかもわかりませんが、幽霊委員になってしまうかもしれませんが (いざというときのための布石です)、皆さん見知っている顔ぶれですし、今までな†んもせずにオンブにダッコであったわけですし、 ここらで役に立っておかなければとも考えますし、思えば、関ブロ大会も御巡教も人数あわせのような役立たなさでしたし、・・・(以下、 皆さんが考えられる限りのぼやきを連発)。
 
 考えてみると、今年の別時念仏会のときに、T源寺のO上人との間で、埼浄青のホームページの話が出て、「各自の法話などを掲示し、 皆でそれについて、あーでもなおこーでもないと意見などを交えて、誤りやはっきりしないところを訂正、言い返しなどし、 また更なる説明を加えるなどして、法話の手引き集など出来れば便利だ。」などとエラソーに口走ったのが始まりであったのかも。  
 
 いずれにせよ、請われて引き受けたのですから、出来る限りがんばらせていただきます。 埼浄青のホームページのほうも手伝って欲しいとのことでした。どーせ、私に出来ることはそれくらいなもんですから。 自作の寺務管理ソフトの開発もストップしたままですし、今後のパソコンの有効活用を考えていたとこですし。がんばります。


 皆さん、あたたかい目で見守って下さい。

2005年03月24日

●「マクロメディア FALSH MX 2004」

 フラッシュをトップページに導入したことは以前にもお話ししましたが、この度更なるバリューアップを画策し、マクロメディアの 「FLASH MX 2004」というソフトを購入しました。当寺院のHPのためは勿論、 実は同級生の住職からHP作成の依頼を請けたのがけっかけであったりします。 
 で、さっそくインストール。さてさて、いじくってみっかぁ・・・・・んっ?なんだこりゃー?使い方がてーんでわからない。 40を前にした私のカビだらけの脳細胞は、マニュアルだけではもはや理解不能。気が付くと、パソコンショップで解説書を読んでいる (正確には眺めている)私がいました。その名も「1週間でできるFLASH MX」!なんと素晴らしいタイトル、まさに私のためのご本です。 家に帰って、解説本通りにひとつひとつ、ゆっくりゆっーくりと・・・・・。途中でわからなくなりました。例題として挙げられている問題も?? ??


 もう一度、最初から始めました。基本は理解したものの、思い通りのフラッシュができるまでには1週間では到底無理。タイトルに偽りあり! 訴えてやる†!

 
 完成には、数ヶ月かかりそうです。ああ、昔はマニュアルなど見ないでい「いじくってりゃぁ何とかなるさぁ†」 とぶっつけ本番で処理していた若かりし頃が懐かしい。月日は百代の過客にして(そう出来たのは昔の話)、国破れて山河あり (放り出したソフト)、城春にして草木深し(頭の中は雑草だらけ)、おごれる者も久しからず(簡単だぁと思っていたのに)、 ひとへに春の夢のごとし(やめだやめだぁ!)。中国の詩と平家物語の言葉が頭の中を廻って廻って、飛んで飛んで。ふー。

 
 明日からまたがんばります。
 ぼやきばかりでもうしわけありません。

2005年03月14日

●「戊辰戦争時代絵巻」

 昨日(3月13日)、法事がひと段落したので、お寺を抜け出して熊谷荒川河川敷にて行われた「戊辰戦争時代絵巻」を見に行きました。 風の強い日でしたが、好天に恵まれ、明治新政府軍と旧幕府軍歩兵部隊との戦いが再現されたのです。 
 
 新政府軍は薩摩・長州の藩軍が主体となっています。私の妻が鹿児島出身ということもあり、 どうしても薩摩軍をひいきしてしまいます。が、参加された人数がちょっと少なかったですねぇ。映画などで使用した大砲や、 自作の軍服など見るべきものは多かったのですが、観客も少なかったです。やはり、 熊谷の人間は文化的なことに関心が薄いのでしょうか?  
 
 それにしても驚いたことは、慶応末年から明治元年の公的な記録が無いということです。記録書は白紙になっていたそうです。それ故、 旧幕府軍と新政府軍の戦いは一切無かったという事になってしまっていたらしいのです。いったいどうしたことでしょうか。 旧幕府の役人は逃げてしまったのでしょうか。それで記録が一切無いのでしょうか。
 
 実際には旧家の文書によると、行田忍城と新政府軍との間で会談がもたれ、 忍城は無条件で恭順の意を示し、戦を回避したようです。憐れなのは、忍城城下に詰めていた旧幕府の歩兵部隊です。打って変わって、 彼らは忍領内で唯一の朝敵となってしまったわけです。そこを新政府軍が急襲したのが梁田の戦いと伝えられています。 彼らのうち3名は命を落とし、報恩寺(当時は現在の熊谷郵便本局に位置していた)に葬られたと言われています。 
 
 戊辰戦争はこの後、いっきに北上し、宇都宮城の戦い、会津戦争へと移っていきます。江戸城無血開城、 千葉の戦いから宇都宮城の戦いまでのあいだにこんな出来事があったというわけです。
 いやあ、歴史ってホントにおもしろいですねぇ。それにしても、記録しておくことの大切さを本当に感じた1日でした。