2005年05月29日

●「幸せの数」

 ここのところ、行事の報告や浄青の仕事など自分に関することが多かったので、今回は本来の法話もどきなお話をしてみたいと思います。
 
 私は、何かあると自分に言い聞かせたり、人に話して聞かせたりする事柄がありました。ありましたというのは、 実は最近忙しさからかこんな考えを忘れてしまっていて、ある方の講談を聞いて思い出したからです。スーパーやコンビニなどのお店のレジ前で、 また何かのために行列して待っているとき、横は入りしてくるオバタリアン(失礼しました)に出会うことがあると思います。

 こんなとき私は、こう思うのです。人間の一生はプラスマイナス0である。今、いい思いをすれば、その分あとでいやな思いをする。今、 いやな思いをしても我慢すれば、あとでその分きっと良いことがある、と。その場で文句のひとつも言えない自分に対するフォローなのか、 いいやわざわざ波風立てることもないよという広い心の持ちようなのか、意見は分かれると思いますが、このように考えてきました。そして、 この考えは、ある程度の共感も得られてきました。

 が、この考えをさらにすすめたといいますか、さらに悟りの境地へ達した(大袈裟な言い方ですが)考えを聞いたのです。 前に述べましたある方、実は毒蝮三太夫氏です。40歳くらいの方でしたら、科学特捜隊のアラシ隊員と申し上げたほうがおわかりでしょう。 5月9日に、館林市常光寺(御住職は私の同級生)にて館林市積善会主催の花まつりが催され、その目玉として毒蝮氏に講談をお願いしたのです。 私は、その手伝いとしてお邪魔していました。軽やかなトークと持ち前の毒舌で参加者の皆さんを笑わせたりと、 とても楽しくお話を聞かせていただきました。話の最後のところで、毒蝮氏の母親の話が出たのですが、 子供時代の毒蝮氏に母親がよくこう言っていたそうです。「お前ばかり良い思いをするんじゃないよ。幸せの数は決まっていて、 お前がひとつ幸せを手にすると、誰かがひとつ不幸になる。お前がひとつ我慢をすれば、他の誰かがひとつ幸せになる。」と。
 よくある話で、当たり前の話ですが、妙に懐かしく、目から鱗が落ちたかのようなショックでした。 こんな簡単なことを忘れてしまっていたんです。浄土宗教師として、仏教徒として、いや人間としての生き方を改めて考え直しました。 自分勝手になったり、失敗を人のせいにしたり、ともすれば他人を追い落としてまで良い思いをしようなどと、 ついついそんな方向に走ってしまいがちなこのごろに、一石を投じるほどのものと感じたのです。
 
 自分がされたら嫌なことは、他人に対しては絶対にしてはいけない。これ、私の信条です。でも、忘れてしまうこともあります。 気をつけなければなりません。皆さまも、他人を思いやるこころ、情けはひとのためならずの精神を持って、 日々過ごされて行かれるようお願いいたします。当然ですが、私も努力して行きたいと思っております。

2005年05月25日

●「寺庭婦人若葉研修会4 講義 」

 研修会で組まれていた講義、最後は小坂井淳弘先生によります「仏教聖歌」でした。
 
 鈴と鉦を使って歌う御詠歌は知っていたのですが、今回教えていただいた「仏教聖歌」は初めてでした。 また、参加者の皆さんもほとんどが初めてであったようで、曲は「月かげ」、「われらのよるべ」、「みほとけは」、「浄き門出」、 「念仏」、そして「ああこのよろこび」の6曲を学びました。
 御詠歌でも歌う曲でなじみもあった「月かげ」以外、他の5曲は全くの初めてでしたが、唱歌に近い曲調で親しみやすく、機会があれば、 是非お檀家の皆さまにもご紹介したい!と強く思いました。もし、ご興味がございましたら(私の下手な歌とピアノでよろしければ) ご紹介いたします。
 
 教えてくださった先生は、とても通る良いお声で、ずっと聞いていたいくらいでした。 ご自坊の法事を終えてすぐいらしたので、昼食を食べる時間がなかったということに加えて、 午後3時頃から5時近くまでほとんどずっと大きな通るお声で歌い続けられていたので、 最後のほうはもうフラフラになっていらっしゃいました。講義の後、復活するまで時間のかかったことと思います。
 3人の先生方いずれも限られた時間の中で、本当に一生懸命教えていただき、ありがとうございました。 ときにはご自分の身近な出来事を例えにしたり、とんちのきいた冗談を言って笑わせたりと、足の痛みを除けばとても楽しい時間でした。
 
 この「仏教聖歌」の講義で今回の研修会の主な日程は終わりました。それを受けて、午後6時より知恩院阿弥陀堂にて「帰敬式」 が執り行われたのです。


続く・・・   文/副住職寺庭

2005年05月23日

●「寺庭婦人若葉研修会3 講義 」

 皆さま、こんにちわ。副住職の寺庭でございます。先月からご報告させていただいております「寺庭婦人若葉研修会」、 今回もこの続きをさせていただきたいと思います。
 
 
 今回は西山精司先生によります「浄土宗のおつとめ」についてご報告いたします。

 「浄土宗のおつとめ」は日常勤行の方法、仏花・供物・御膳の供え方、そして僧侶の法衣についての講義でした。
 これらのことは、僧侶の妻の日常として、副住職から学びながらこなしてきたことでしたが、新しい発見も多く、大変勉強になりました。特に、 日常勤行は最近はひとりで行うこともありましたので、我流になっている部分もあり、反省しきりでした。
 
 ところで、日常勤行とは文字通り日常的に行われる法要のことで、朝や夕方の勤行のことです。み仏をお迎え(勧進) するための導入部としての序分、お経を読み、み仏を供養し、念仏の行を励む主部としての正宗分(しょうじゅうぶ)、 そしてみ仏を本国にお送り(奉送)する流通分(るつうぶん)の三段構成がとられており、これは日常勤行だけでなく、 皆さま各家ごとに行われる年忌法要なども同様の儀礼構成となっています。副住職も度々法要の際にこれらについての説明をしておりますので、 ご興味を持たれた方はお気軽にお尋ね下さい。
 
 仏花・供物・御膳の供え方、僧侶の法衣についての講義では、お寺の儀式だけではなく、 日常生活でも活用できそうな、主婦にはうれしい知りたい事柄をたくさん教えていただきました。 他の参加者の皆さんも興味深そうに聞き入っておられました。講義に行くのが少し遅くなり、一番前の席になってしまった(しまった? いえいえ、最初から一番前に座るつもりでした。)のですが、法衣の講義のときなどは、 近くで見るために皆さん前に集まって来ましたので、結果的に前で良かったのかな†、などと思ったりもしました。

  続く・・・   文/副住職寺庭

2005年05月03日

●「列車事故に思う」

 みなさまもご存じのJR西日本列車脱線事故ですが、死者100人を超す大惨事となりました。 テレビなどでは連日に渡って原因等を論じています。

 その内容を見てみますと、一番多いのが「私鉄との集客競争の弊害」、「社内管理教育体制の問題」などが挙げられています。でも、 それだけがこの事故の原因でしょうか?最新型のATS装置を取り付けていなかったJR西日本は当然問題ですし、 自分自身の勤務評価の保身の為に安全を犠牲にしてまでスピードを上げた運転士にも問題があるのはもっともです。しかし、 少しの遅れに対してすぐに文句を言うわれわれ乗客にも落ち度は無かったのでしょうか?事故直前の駅でのオーバーランについては、 乗客が説明がないと車掌に詰め寄ったと報じられています。わずか1分半の遅れに対して、そこまで激高するのは私には理解しがたいことです。 お金を払ってそのサービスの提供を受ける、そういう意味では文句の一つも言う権利はあるでしょう。しかし、 その文句は安全性を犠牲にしても得てほしいというものでは無いはずです。ただ、結果として、 そういうふうにつながっていったとも考えられないでしょうか?


 ちなみに対面の特急電車は運転士が信号を見て急停止したため、その周囲1キロ圏内の電車に自動通達され、 2次事故は避けられたとのことです。運行集中センターからの連絡前にこの処置をした運転士は大いにほめられるべきです。もっとも、 それが当たり前ではありますが。事故のためこの列車を線路上で降りなければならない乗客たちの苦情も聞きました。文句もわかりますが、 けがをしたり、ましてや死んでしまったりするよりはいいでしょう。
 
 
 こういったことは私たちだれのこころのなかにでも潜んでいます。亡くなった方々はそうではないにしても、今回の事故は、 こういった心の歪みが起こしたものとも考えられると思います。気をつけなければ、と今あらためて感じています。
 犠牲者のみなさまにはお悔やみ申し上げます。阿弥陀さまの光とともに極楽浄土へ往生されることを願っております。


南無阿弥陀仏  合掌