2005年11月18日

●「嵯峨法然寺」

  嵯峨の位置する極楽殿熊谷山法然寺は浄土宗寺院であり、圓光大師(法然上人)二十五霊場の第十九番となっている。


(以下法然寺ホームページより)
法然寺の歴史は・・・・

 戦国の武将であった熊谷次郎直実は十六歳の平敦盛を戦いで殺した事は有名です。 それだけでなく武将としての歴史に残る戦いにも大きな手柄を幾つもあげました。しかし武士ににあるまじき,味方を裏切ったり, 敵と内通したりした事もあり、その人生は波乱万丈でした。その自分の人生に怒りを覚え,自決する決心をして,世に聞く高僧である, 法然上人に見届けて頂き,極楽への旅路を希望し、この時初めて法然上人にお出遭いし,法然上人より、 どんな罪人でも阿弥陀さんを信じたら誰でも極楽往生が出来る、仏教の慈悲に初めて触れ、周囲の反対にもかかわらず出家をします。
出家後は蓮生房(れんせいぼう)と言うお坊さんの名前に変え,まず敦盛の供養を高野山でして京都に滞在しながら,世の為,人の為、 自分の全ての財産を使い学校や橋や道や沢山の寺院も作りました。大きな功績を残してくれましたが,財産を全て無くし,先祖が途絶えてしまい, 大きな犠牲を支払った事に対して我々は感謝したいと思いますが,皆様は如何でしょうか?
 最初、法然寺は京都市内の真ん中,四条烏丸の北の、元法然寺町にありました。その後の法然寺は,正応年間(1289†1292)には、 ご病気であった伏見天皇からの手厚い加護を受け,続いて後奈良,正親町天皇の勅願寺となる。 その間には足利義政や豊臣秀吉からの扶助も受ける。徳川幕府から三百石と御朱印を拝した。京都市内を転々とし、四条寺町下るから、 この嵯峨の地には三十年前に転居してきたので、嵯峨の地と法然寺を結び付るものはない。
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/saga/hounenji/hounenji.html

 

2005年11月01日

●「璽書伝授伝戒道場成満」

 去る10月24日から昨日の31日まで、東京芝の大本山増上寺にて璽書伝授伝戒道場に参加しました。わずか8日間とはいえ、 それなりのことをするわけでして、日頃怠けていた身体にはさすがに疲れを覚えました。剃髪した頭も坊主刈り程度にまで伸びましたが、 まだ頭が寒く感じています。

 宗脈と戒脈の相伝を受けるのが加行であり、これを修めて初めて僧侶と呼べるのです。これに対して、 今回の璽書伝授伝戒とは浄土宗における最高位の行であり、資格的に言うと、自ら他に対して戒脈を授けることの出来る権利・ 資格を得たこととなるのです。言うなれば、一皮剥けた僧侶とでも言うのでしょうか?(表現が適切ではないかも知れません)

 いずれにせよこれを機に気持ちを入れ直し、より一層の精進修行をしていく所存です。皆さまのご指導のほどよろしくお願いいたします。