2006年09月28日

●「万治の石仏」

  下諏訪町にある諏訪大社下社春宮の西側の砥川という川を渡り、少しばかり北へ遡ると、 田畑の中に大きな石の上に首だけ乗せた石仏が現れる。胴体の右側には「南無阿弥陀佛」、 「願主 明誉浄光心誉廣春 万治三年(1660)十一月一日」と刻まれている故に、「万治の石仏(まんじのせきぶつ)」と呼ばれている。

 下諏訪町の案内によると、諏訪大社下社(春宮)に石の鳥居を造る際、 この石を材料にしようとノミを入れたところ、傷口から血が流れ出したため、 石工達は恐れて仕事を止めてしまったという(そのノミの跡は現存)。が、その夜、 石工の夢枕に上原山(茅野市)に良い石材があると告げられ、調べてみるとそこに確かに良材を見つけることができ、鳥居は完成した。 石工達は、この石に阿弥陀如来を祀って記念としたとという伝説があるとのことである。

*平成13年11月9日参詣

 

2006年09月26日

●「阿弥陀寺」

  諏訪湖から霧ケ峰高原へと通じる道路に入るとすぐに入口を示す石碑が建っている。 狭くかなりの急坂を登るとちょっと開けた平地の駐車場がある。ここかと思うと、石垣風の嶽門(たけもん)という山門がある。 実はさらに急な坂を登った上に阿弥陀寺は建っている。この阿弥陀寺は平成5年に庫裡からの出火により本堂等主要建物を一塵に帰している。 この2年前、私は「浄土伝導学」という科目の研修でこの阿弥陀寺を訪れている。当時は参道は蛇行したまさに山道であり、 当然アスファルトも敷いて無かった。平成8年、信濃善光寺大本願の本堂であった「旧誓殿」を移築し、念仏道場としての再興を経たという。
 ここ阿弥陀寺は浄土宗寺院であり、正式には法国山阿弥陀寺という。慶長3年(1598)、 弾誓上人の開山であり、 本尊は本堂裏山の板状節理の岸壁がそそり立つ岩場の一坪ほどの岩窟(岩屋堂)に安置してある石造十一面観世音菩薩像であり、 開山当時はこの岩窟が念仏不断の道場であったということである。岩屋堂から臨む諏訪湖とその町並はまさに景勝といえるでしょう。
 境内には、鐘楼や麿崖の句碑、石仏が立ち並んでおり、信濃国三十三番観音霊場の第二十四番札所、 また伊那諏訪八十八ヶ所の内の二十一番札所となっています。
 最後に、阿弥陀寺の御詠歌を2歌あげさせていただきます。

唐沢や岩間に結ぶ観世音
 誓いの水は汲めどつきせじ

南無阿弥陀仏の御影瑠璃の地も
 ふみみるばかりこぼさざるなみ

*平成13年11月9日参詣

 

2006年09月25日

●「法然院」

  哲学の径を少し入るとJRのCMでお馴染みの紅葉で一面真っ赤な緩やかな階段坂に目に入る。ここは、法然院といい、 正式には善気山法然院萬無教寺、浄土宗系の単立寺院である。鎌倉時代初期、法然上人が弟子の住蓮・ 安楽と共に六時礼讃を唱えた鹿ケ谷の草庵を、 江戸時代初期に知恩院第三十八世萬無和尚が宗祖法然上人ゆかりの地に念仏道場を建立することを発願し、弟子の忍澂和尚によって、 現在の伽藍の基礎が築かれたという。

 数寄屋造りの茅葺の山門をくぐり境内へ足を踏み入れると、両側には白い盛り砂の白砂壇 (びゃくさだん)があり、水を表わす砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味しているらしい。本堂には、 恵心僧都作の本尊阿弥陀如来坐像の他、観音・勢至両菩薩像、法然上人立像、萬無和尚坐像を安置している。本尊前の須弥壇(直壇) 上には、二十五菩薩を象徴する二十五の生花を散華している。方丈は桃山御陵の遺物を移築したものと伝えられ、 狩野光信筆の14面に及ぶ襖絵「桐に竹図」、「若松図」、「槇に海棠図」や、屏風の「松図」は重要文化財に指定されています。

(法然院ホームページより一部参照 http://www.honen-in.jp/INDEX.html )

*平成17年11月18日朝6時に訪れた法然院本堂より山門を臨む。

2006年09月24日

●「安楽寺」

 哲学の径より東へ1本入った小径にあった法然院、この路を少しばかり南下すると安楽寺がある。正式名称は住蓮山安楽寺。 通称は松虫鈴虫寺と呼ばれている。法然上人の弟子、住蓮と安楽の2僧が延宝9年(1681)に建てた念仏道場である。
 後鳥羽上皇の管女松虫・鈴虫両姫が教化をうけてひそかに出家する事件が起こり、 これに激怒した後鳥羽上皇は、法然上人を讃岐へ流刑、弟子である親鸞聖人は越後国へ流刑、そして住蓮・安楽は死罪としたのです。 それを知った松虫・鈴虫両姫は自害したという「建永の法難」の悲劇の舞台となった草庵です。

 下って室町時代末、天文年間に2僧の供養の為に伽藍をこの地に再興したのが今の安楽寺という。 (当時はここより東1kmほどのところにあったらしい)本堂には本尊阿弥陀如来三尊像が安置され、傍らに住蓮・安楽両上人、松虫・ 鈴虫両姫の座像、法然上人張子の像などがまつられている。また、境内には住蓮・安楽両房の五輪供養塔と、山中には松虫・ 鈴虫両姫の五輪石塔が残り、悲劇を現在に伝えている。

(安楽寺は自由参詣はできません。必ず参詣可能日を事前にお調べ下さい。)

 

 

2006年09月23日

●「嵯峨清涼寺」

 嵯峨釈迦堂と親しまれている清涼寺は、山号は五台山で浄土宗寺院である。 本尊の釈迦如来像は釈迦37歳の生身の像として中国で刻されたもので、体内には絹で作られた五臓六腑や経文等が収められている。
 開山は永観2年(984)頃、前述の釈迦如来像を中国より持ち帰った東大寺の奝然が南都仏教の興隆のため開いたのが始まりであり、 16世紀以降浄土宗が主体の寺院となった。現在の本堂は元禄14年(1701)に再建されたものである。証空の自筆の「熊谷蓮生宛返書」 や蓮生自筆の「誓願文」並びに「夢記」などが収蔵されている。
 本堂横にある石碑は豊臣秀頼の首塚で、 昭和55年大阪城の三の丸跡地の発掘で出土した秀頼の首を秀頼再興の由緒を持つ当寺で祀ったものです。

 

 

 

 

 *平成17年11月18日、友人のお寺団参のお手伝いで訪れた嵯峨です。

 

2006年09月22日

●「二尊院」

  嵯峨野の鬱蒼とした竹林の中を歩くこと暫し、阿弥陀如来像、 釈迦如来像の二本尊を安置していることから、二尊院の名で呼ばれてる小倉山二尊教院華台寺が開ける。
 ここ二尊院は、平安時代初期の承和年間に嵯峨天皇が慈覚大師を開祖として建立したのが起こりであり、一時後荒廃したが、 法然上人やその弟子湛空によって再興されている。現在は天台宗寺院であるが、前述の通りわれら浄土宗とも縁深いお寺である。また、 二尊院はもともと御所と?がりが深く、嵯峨家、二条家、三条家、四条家、鷹司家などの墓所が多数あります。本堂「二尊院」 の勅額は後奈良天皇から、また唐門「小倉山」の勅額は後柏原天皇から下賜されたものです。

 山門を抜けると「紅葉の馬場」と呼ばれる名所、 緩やかではあるが200メートルほどの坂が待ち受ける。藤原忠平の歌「小倉山峯のもみじ葉心あらば今ひと度の御幸またなん」 が有名である。

 

 

 坂を登り切り、本堂にあがると、念仏停止を求めた天台宗徒に対し、 法然上人が天台座主に呈した制戒を記した「七箇条御誓文」が陳列してあった。御誓文の後に続き法然上人をはじめ、 百数十名ものそうそうたるお弟子たちの署名が続いている。この中に、 当山開山の熊谷蓮生法師の署名もあること覚えておいていただきたい。 本堂右手の急な階段を登ると、 湛空が建立したや法然影像を安置した足曳堂(法然上人御廟)が閑静な嵐山の町を見渡すように存している。また、 この階段途中の五重塔は「法然五重塔」と呼ばれ、これもまた湛空が建立したものである。

 *平成17年11月18日、友人のお寺団参のお手伝いで訪れた嵐山です。

 

2006年09月21日

●「金戒光明寺」

  「くろ谷さん」の愛称で親しまれている金戒光明寺は浄土宗五大本山のひとつで、 承安5年(1175年)春、法然上人が開かれたお寺です。正式名は紫雲山黒谷。比叡山にて厳しい修業と学問の日々を過ごし、 ようやく辿り着いたお念仏の教え、この教えを皆に広めようと決意した場所、これがここ金戒光明寺なのです。それゆえ、 ここ金戒光明寺は、「浄土真宗(じょうどまことのしゅう)発祥の地」といわれています。
 本尊は恵心僧都源信の遺作阿弥陀如来像、宝物には法然上人御真筆の「一枚起請文」などがあります。また、 御影堂右手前には熊谷直實が仏門に入り必要となくなった鎧兜を掛けたと言われている「熊谷鎧掛けの松」もあります。

 山門脇には蓮池院(熊谷堂)があります。名前の通り、 ここ蓮池院は熊谷直實が出家し法力房蓮生法師となって修行した場であり、一角には「熊谷蓮生供養塔」と「平敦盛供養塔」 が法然上人御廟を挟む形で建てられています。

 

 

 また、黒谷山内には西雲院という浄土宗寺院があります。ここには、前述の通り、 法然上人が布教を決意した際に腰掛けたといわれている「紫雲石」なるものがあります。

 *平成17年9月13日、京都知恩院にて行われた詠唱講習会の後、訪れた際の記録です。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

2006年09月20日

●「お彼岸」

  お盆が終わって一息ついていると、あっという間に秋のお彼岸がやってまいりました。

 中日(秋分の日)は、太陽の入りが丁度真西になる日となります。まさしく、 この日が沈む方向に阿弥陀さまのつくられた西方極楽浄土があり、ご先祖さまたちはそこで暮らしているのです。いつでも、 どこにいても我々のことを見守っていてくださる阿弥陀さまとご先祖さまたちのご恩に感謝し、普段無精な方(私も含め)も、 西を向いてお念仏をお称えしてみませんか?

 

2006年09月17日

●「800年忌法要」

 昨日(9月16日)、当山本堂にて熊谷直實公(蓮生法師)の800年忌法要が営まれました。代表者の呼びかけに、熊谷家関縁者 (ほとんどが名字は「熊谷」)24人が集まりました。

 

2006年09月08日

●「蓮生法師800年遠忌会(開山忌会)」および「六時礼讃会」

  おかげさまで、多数の参会お申し込みをいただきまして、ありがとうございます。「開山忌会」 につきましてはまだ若干の余裕がございますので、お申し込み忘れた方もまだ大丈夫です。ご検討下さい。

また、チケットの配布は、当寺(熊谷寺、久山寺、蓮昭寺)檀徒に限らせていただきます。ご親戚、 ご友人等を通しましてお申し込み下さい。なお当日は、チケットが無い場合はご入山できません。必ず事前にお申し込み下さい。

10月24日(火) 12:20† 開門