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2007年06月01日

●間違いを認める勇気

 いつからこうなってしまったのであろうか。人は生まれながらにしてわがままではなかったはずである。 幼いときは親や周囲の人々から怒られたり諌められたり、もちろん自分が悪い場合や、他人に迷惑をかけた場合であるが、素直に誤りを認め、 「ごめんなさい」と謝っていたはずである。

 それが、いつからこうなってしまったのであろうか。今も昔も、 何かをしでかした人たちはどうして心から謝ることをしないのでしょうか。事故や事件、いろいろなことが起こり、 その情報はテレビ等でリアルタイムでもたらされる。記者会見では、頭は下げるが足は組んだまま、遺憾との言葉は発するが、 心からの謝罪でないことは想像できる場合が多い。損害賠償など膨大な金銭の出費が伴うからであろうか。責任の所在は明らかにしない。 他人のせいのような発言、言い訳、こんなのばかりである。

 いつからこうなってしまったのであろうか。子供から大人へと歳を重ねていくにつれて、其の地位が高くなるにつれて、 人は謝ることを忘れていく。全員が全員そうであるというわけではない。そういう人たちが目立つだけかもしれない。大企業・ 中小企業に関わらず、謝ることをする会社は大成する。他人の意見に耳を貸し、自らに誤りある場合はそれを認めて、修正していくからである。 このことは何も企業に限ったものではない。人と人との付き合いの中でも常に意識すべきことであろう。

 そういう私も、いつからこうなってしまったのであろうか。我を張って、過ちを認めないことがある。他人のせいにすることがある。 後味がとても悪いのは言うまでもない。

 謝ることの大切さを知って欲しい。謝ることの勇気を持って欲しい。